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ジャパニーズ・ラストサムライ。幕末から明治にかけての日本の武士たち(1860年 – 1900年)

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77件のコメントを見る

(著)

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 海外サイトでは日本の歴史を知る貴重な資料としてサムライ(武士)たちの画像が良く特集されているが、これらは「ラスト・サムライ」というカテゴライズで1863年(幕末)から1900年(明治33年)に撮影されたものだそうだ。

1.1881年

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2. 1900年

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3. 1865年

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4. 1865年 火消部隊

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5. 1864年

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6. 1867年

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7. 1867年

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8. 1867年

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9. 1877年

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10. 1880年

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11. 1880年

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12. 1882年

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13. 1890年

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Universal History Archive/UIG/Getty Images

14. 1870年

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15. 1867年

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16. 1867年

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17. 1865年

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18. 1860年

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via:mashable
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この記事へのコメント 77件

コメントを書く

  1. 町人髷あり役者ありだが、5番の老武士は好きだ。

    • +20
  2. たしかにこれは貴重だ
    そして当時の日本人はやはり背が低かったんだな

    • +13
    1. ※3
      頭身からいって身長135cmくらいに見える。それとも頭が大きくてそう見えるだけかな。身長も時代さかのぼれば上るほど一概に低くなるわけでもないみたいだし、江戸時代が低かった要因ってなんなんだろう。

      • 評価
      1. ※57
        脚気(江戸患い)は、地元では玄米を食べてたのが江戸では白米を食べるからかかりやすくなった、ってのが有力な説だったのでは

        • -1
  3. これは本物の侍なのかな。なんか当時の役者がそれふうの格好化粧した感じがするけど

    • +42
  4. 5のじいさん間合いに入ったら切られそう

    • +11
  5. 意外と現代的な顔をしている…
    昔の写真て、もっと芋臭いような顔の人が多いイメージあったけど…

    • +5
  6. どなたもちんちくりんでいらっしゃるな・・・

    • 評価
  7. 1枚目は武士ではないな。頭と着ているものメチャクチャだから役者だろうな。

    • +1
  8. 5番もカッコイイが、14番も彫が深くて中々いい

    • +4
  9. 7番鞍馬天狗やんw
    本当に居たんだなーイカ頭巾の侍

    • -2
  10. 当時は外国向けの観光用写真があったらしい。
    役者に頼んだんじゃないかな。
    戊辰戦争当時に幕府側では鎧姿で意気込んだ人も多少いたようだが、
    薩長や幕府は軍の西洋化を進めていたし
    当時としても時代遅れは知られていたはず。

    • +9
    1. ※17
      ちなみに、時代遅れでも武士の一分を通すべしという観念から、紙製(紙の小札に漆塗って固めていた)の鎧が作られていた模様
      粗悪品だったために、現代まで持たずにほとんど消滅してるけど

      • +3
  11. 所謂お土産用のブロマイドだから本当に士族の人より役者の人のが多いようです
    でも坂本竜馬や近藤勇のように写真を撮ってる武士の人もいるよう

    • -34
  12. 年代表記が何を根拠にされているかは分からないけど、1865年とかにこの手の写真はないでしょう。年代はかなりいい加減と思われますが、明治期のものではあるでしょうね。
    いずれも外国人向けの観光お土産用の写真。写場などのスタジオで扮装をして撮ったものでしょう。立派な刺青の写真は明治の写真として有名なもので、もちろんカラーなのは手彩色したもので、これでもお土産用と言うことが分かりますね。

    • 評価
  13. その辺の農民に小銭渡して撮影するというのはよくあった話らしいので、
    こういった写真がどれだけ本当に侍(元侍)なのか、という疑問はある。

    • 評価
    1. ※22
      いや、紙の小札で作った鎧が本物の日本の鎧なんだよ。鹿革の場合もあるけどね。
      非常に高価で、手間と時間がかかるために戦国期に鉄板に変えられたんだ。
      南蛮鎧の影響もあるが、やはり大量生産のための効率化と労働力の問題が最も大きい。
      鉄板は重いし見た目が野暮ったく、雨や渡川にも不利なので足軽の武具とされた。
      ちなみに、紙の小札の裏に鹿革を貼ったものが最高級で、国宝クラスは全部そう。

      • -4
  14. なんか微妙にコスプレ感があるのは、本職じゃないからかな?

    • +4
  15. 当時の日本人は肉食してないので、やっぱり背は低いです。中国人韓国人は犬食してたので多少日本人より背は大きかったです。ただ当時来日した外国人は日本人の足腰の強さ、持久力の強靭さにびっくりしましたが、米、味噌、漬物ぐらいしか食べていないのを見て籠やにバランスの良い食事をとらせところ、とたんに持久力も足腰も弱ったので、前の米中心の食事に戻したらまた以前と同じような強靭的な肉体に戻ったそうですよ。

    • +9
  16. マゲが隠れてると、その辺のおじさんや兄ちゃんに見えるから不思議。
    祖先だから当然なんだけど。
    外人さんは欧米の写実的な絵画を見るとき、こういう奇妙な感覚を同じように覚えるのだろうか。

    • +4
    1. ※25
      残念ながら肉食と身長の問題は大きく関連していない。
      そもそも言われているほど江戸時代は肉を食べて居ない訳ではないし、動物性たんぱく質としては肉でなくとも魚で良い訳です。
      それを根拠にすると、ほぼ根菜等で生きている部族でも身長が高い事の説明がつかない。
      重要なのは江戸後期の寒冷化による飢饉と、都市部での栄養の偏り。
      (江戸は後期には人口100万人を越える)
      脚気が江戸病と言われるのは新鮮な野菜が限られたものしか手に入らず、常食できない人が多かった為。

      • +2
  17. 5は海外サイトで「サムライの写真」が紹介される時よく見るな
    渋くてかっこいいよね

    • 評価
  18. イケメンすぎる人は役者だろうな
    化粧してるし

    • 評価
  19. バカ殿みたいな着色が残念だね。なぜ、着色するかな?
    男が頬紅つけているようで気持ち悪いのが嫌だな。

    • +1
    1. 四民平等後の顔だからなあ…髷で分かるのもいるが。
      ※28
      アホっぽい顔が役者だと思われ。

      • -1
  20. こういうの見る度に思うんだけど何で顔は着色されてないの?

    • 評価
  21. 一番最後は、女性で早く歌舞伎の若衆方かおやまらしい

    • +1
  22. こんなちんちくりんに負けた南朝鮮人や世界の国々
    テラワロス

    • -3
  23. 5番以前ちらと調べたときはわからなかったのですが、ベアトがらみの一枚だったんですね。ベアト撮影か弟子撮影か収集物か…ともあれクレジットを信ずるならベアトってコトなわけで、少しすっきりしました。
    最後の写真いつ見ても見惚れます。揚羽蝶家紋の鎧かっこいい。女学生さん(?)の透明な雰囲気もとても好き。
    ところでクレジット表記が掲載元と異なってるもの多いですがOKなの?

    • -21
  24. どこがどうとは指摘出来ないが、物凄く違和感がある。色彩のせいかな? それとも俺の抱いていたイメージが間違っていたのかな?

    • -1
  25. 大袖(肩や上腕部を防御する部分)があるから種類は大鎧かな
    戦国期以降、実践では殆ど使われていなかった種類の鎧だから
    役者が舞台衣装着てるんじゃないかな。

    • -4
  26. 中途半端に色つけるくらいならモノクロでいいのに

    • +1
    1. ※36
      大袖は一つもありませんが?
      大袖っていうのは完全な四角い板状で、写真で出てるような腕に沿うようなたわみはありません
      というか、日本の甲冑において、肩から二の腕を覆うモノはすべて袖で、その中でも様式は色々あり、その中の一つが大袖なんですが
      ついでに言うと、鎧(いわゆる大鎧と通称されてる室町以前のもの)の形式とはかけ離れてるものばかりですよ
      草摺りが四間(前後左右)のものはない、弦走革もない、九尾板栴檀板もない、なにより小札を連ねた札板をおどしつけてるモノはほとんど無い
      その上、兜がすべて筋兜やかわり兜で星兜が一つも無いし、それぞれの兜の吹き返しの板も鎧が使われてた頃のそれとは違い、非常に小さなものや妙に斜めに跳ね上げてるモノばかり
      すべて当世具足、しかも、江戸期に入ってから作られた様式が乱れまくった時代のものです
      当時の写真撮影の時間的に、実戦に際して着込んだモノで無いことは言うまでもありません
      一人の鎧好きとして、半可通で知識を振り回す前にもっと調べることを、痛切に願います

      • 評価
  27. 役者がほとんどだろうねえ。
    明治以前と思われるものでも、鎧、具足をまとっていながら髷は結ったままだったりするし、何とも見世物然としている。少くとも戦に臨んでのものとは思われない。
    未だ徳川の治世に、如何に欧米人に望まれての写真撮影とはいえ、真っ当な侍が鎧、具足類を身につける事は無かろうしね。

    • +1
  28. 18に一目惚れ。
    ドストライクなんだな。
    でも眉ほっそいなあ

    • +5
  29. 5はすげぇかっこいいな
    なんかオーラがある

    • 評価
  30. 役者説多いが、本当に役者ならもっと表情も作りこむだろうし、
    ちぐはぐな髪型とかないと思う。
    写真を撮れるようなお金持ち(?)の町人がコスプレしたか、↑にあるように、
    お金をもらって撮影したか、って気がする。

    • +1
  31.  如何に死するか
    皆真っ直ぐな顔つきしておるワニ

    • +1
  32. 5がダントツにカッコいい!
    おっさん渋いわぁ~。
    着色が蛇足だね。。

    • -1
  33. これ系の写真、本物ではなくて役者やコスプレした人の写真だってどこかで見た気がするんだが・・・

    • 評価
  34. 1,9,10,13 は武士の髷ではないですよね?

    • 評価
  35. 5は見た感じコイツは強いってオーラを感じる

    • -2
    1. ※50
      いえ鎧(大鎧)は皮革が本来ですよ?
      日本の鎧(大鎧)の大本は、挂甲ですがこれは上級将官の身につける鉄製のもので、蝦夷との闘争が始まってしばらく経ってから、時の政令で鉄製の挂甲を常に準備するのは不便であるから鉄ではなく皮革を持って作ることと定められたのが発祥です
      それに、革札に鉄札を混ぜ込んだ金交ぜの鎧(大鎧)というのも普通に存在しましたよ
      そもそも効率化という点では、一枚の革板の上部を通常の札板に見えるように切りつけた切りつけ札というモノもありましたし
      大体、鎧(大鎧)が生まれた頃は、紙の方が高価かつ量も少ないのに、ふんだんにあった革を使わない方がおかしいでしょう
      それから、当世具足は武将クラスでも普通に鉄板を使った仏胴や桶川胴もありますし、碁石頭という形式もあるわけで、足軽だけが使ってたというわけではありません
      たとえば、当世具足として有名な伊達の黒備え、武将級が同じ具足を使っていましたが、アレなんかは総鉄製で当時の常識からみてもきわめて重い物でした
      それから、※22の紙小札の鎧は、あくまで幕末~明治初期に反乱士族が通常の具足で近代兵器には歯が立たないとわかった上で、それでも武士であるという意地を見せたいという理由だけで作られた、防御力なんて欠片もない見せかけだけの鎧という話であって、それが元来のものであったかどうかというのも関係ない話です

      • +1
  36. ほとんど全部モデルを使ったいわゆるヤラセ写真ですね。明治に入ってからのものなので、いわゆる本当の武士の写真ではありません。
    明治に写真館が爆発的に増えて、そこでのお土産写真。海外にはこの手の写真がゴマんとあるので、よく特集されますが、まあ、勘違いですね。

    • +1
  37. 7の人はがガチっぽいな。手指とかなで肩のラインとかが古武術(当時は”古”ではなかろうが)を相当やりこんだ人の造形や。
    てか、何食って作った身体やろ。スゲエわ。

    • +1
  38. 明治初めは失業した旗本や御家人が外国人居留地で帯刀のまま召使をやったりしていたから、そういう人物の記念写真もあるかもしれない。本国での召使同様にお侍を扱って文字通り首が飛んだ商人もいたとか、小泉八雲が書いている。

    • 評価
  39. 5って昔ピンクのセフィーロ乗ってた人でしょ?

    • -1
  40. 2番と11番、装備も年代も違うけどまったく同じ人では…

    • 評価
  41. 当たり前だけど着物は汚れてよれよれだね
    時代劇の様にはいかないものだな、当たり前だけど

    • -1
  42. なんかテキトーぶっこいてるやついるなぁ・・・・
    戦国時代どころかそのさらにずっと前の時代から鉄でできてるよ、日本の鎧兜は
    奈良で展示されてるのをみたことがある
    あれだいたい10×10×40mmくらいの鉄の板が大量に紡がれて出来上がってる
    まかりまちがってもテレビドラマみたいに矢が刺さるようにはとても見えないし、
    あんなもんいかに日本刀だって斬れないだろっていう金属の塊だよ
    紡いでる紐だってどっか切れたら鎧が瓦解するような作りになってないぞ
    あと色は異様に鮮やかな朱色とかつかわれてる
    でもさ、浅草の浅草寺とかもそうだけど本来ああいう色多いんだぞ日本の文化って
    いっとくが歴史深い京都とか地味な色が多いのは、浅草の浅草寺みたいに本来の昔の色を維持しようとしてないからだ、経年変化で地味になったあの姿が京都にふさわしいって考え方で、それを経年変化で地味になった姿を維持してんの、案外知られてないけどな

    • -5
  43. この時代の武士は名称だけで実際に剣を極めてた人なんてかなり少ない。でも武士の格好して写真撮ったり、役者が武士の格好したりする。
    この時代の本当に剣の道を究めてた人はもっと体がかっこいい

    • 評価
    1. ※65
      大山祇神社にもいかずに鎧のあれこれ語るとか、先人の残した研究著作を読みもせず適当なことを垂れ流すとか、凄いブーメランだな

      • +1
  44. これらは明治頃に撮られた外国人用のお土産写真。
    1は明らかに髷が武家のものではない。
    全部演出して撮られたものだから信じないように。

    • 評価
  45. いわゆる横浜写真ね。
    部分部分は当時物だから勉強になるね。
    此の手の引っ掛け問題は博物館の展示でもあるから
    本当に知識を得たいなら最終的に自分で調べるしかないから厄介と言えば厄介。

    • 評価
  46. 平和ボケしてそうな画ばっかだな、殺気が無い

    • 評価
  47. こうして見るとたかだか100年200年で人間も変わるもんだな。脚すげぇ短い。

    • +1
  48. 5番のオッサンの殺気がやばいな、侍というよりヤクザの用心棒のそれだがw

    • +1
    1. ※75
      戦国時代だと、平均身長は今と変わらんかったと聞く。
      平和な江戸時代は今より低かったはず。

      • 評価
      1. ※73
        まあ、ここに写ってるのが本職の武士か非常に怪しいし、素人が記念にコスプレしてるだけのような写真ばっかりだからなー。立派な装飾の派手な甲冑着てドヤ顔してるし・・・

        • 評価
  49. 18、大島やすいちの「剣客商売」に登場してるw

    • 評価
  50. 5番の武士は私の先祖です。文久4年1864年5月に横浜で撮ったものです。歳は58歳。慶応4年、62歳で死去。掛川藩太田家用人。

    • 評価

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