この画像を大きなサイズで見るインターネットの普及により、今までめったに見ることのできなかった世界中からの、歴史的瞬間をとらえた写真を見ることができるようになった。これらの写真は定期的にネット上を賑わせているわけだが、今回も貴重な写真が特集されていた。
1. ルイス・ボータンによる世界初の水中写真
この画像を大きなサイズで見る1893年当時、撮影までに30分の露出を要した
2. 1968年、ベトナム、ケサンの戦い
この画像を大きなサイズで見る1968年1月21日に始まり77日間に渡って繰り広げられたケサンの戦いは、ベトナム戦争において最も激しい戦いの1つであった。北ベトナム軍とベトコンがテト攻勢を開始すると、米軍と南ベトナム軍はケサン基地を確保するため、ナイアガラ作戦を実施した。114,000トンの爆弾が投下され、北ベトナム軍側に5,000名の戦死者が出ている。米軍はこれを契機に攻勢を強め、彼らを撤退させた
3. 妻と豆の収穫に行く失業中の林業労働者。
この画像を大きなサイズで見る腕に社会保険番号が刺青されている。1939年、ドロテア・ラング撮影
4. 地下鉄の鉄格子の上に立つマリリン・モンローの有名シーンの舞台裏。
この画像を大きなサイズで見る1955年、映画『七年目の浮気』より。ジョー・ディマジオが写っている。彼はこのシーンに腹を立て、やがて2人は離婚することになる。
5. 東條英機自殺未遂事件
この画像を大きなサイズで見るアメリカ軍憲兵(MP)、ジョン・J・ウィルパーJrが、心臓を自ら撃ち抜き意識を失いかけた東条英機を発見。1945年9月11日、東京にて
9月11日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が東條をA級戦犯容疑者のひとりとして指名し逮捕指令を出すと、逮捕をスクープしようと新聞記者たちが東條の家に急行した。午後3時ごろ、表が騒がしいのを聞いて、東條は妻勝子に知人の家に身を寄せるように命じて家から出した。午後4時ごろ、アメリカ軍憲兵(MP)の一行が東條の自宅に到着。MPが玄関の扉越しに話をしたいと告げると、玄関右側の窓から東條が顔を見せて正式の逮捕かどうかと通訳を介して尋ねた。MPが逮捕令状を見せて、すぐ支度するように求めると、東條は同意して玄関を開けると言って窓を閉めた。
しかし、4時17分ごろ、玄関が開く代わりに1発の銃声が響いた。直後、東條の私邸を取り囲んでいたアメリカ軍を中心とした連合国軍のMPたちが威嚇射撃をして踏み込んでみると、東條は応接間の椅子に座り、右手に持った拳銃(後述)で自らの胸を撃ったとみられる状況で発見された。東条英機は連合軍による治療で一命を取り留めたものの、A級戦犯として起訴され、1948年12月、絞首刑に処された。wikipedia
6.南北戦争時の新聞配達員
この画像を大きなサイズで見るバージニア州の連合国軍キャンプで新聞を読む兵士とともにポーズをとる新聞販売員。1863年、南北戦争にて。アレクサンダー・ガードナー撮影
7. ゲティスバーグの再会の集いに出席する古参兵(1913年)
この画像を大きなサイズで見る8. 狙撃直後のロバート・ケネディ司法長官とその夫人
この画像を大きなサイズで見る狙撃された後、アンバサダーホテルのキッチンの床に横たえられたケネディ大統領の弟、ロバート・ケネディ司法長官と、彼を介抱する夫人。1968年6月6日撮影
9. ベトナム戦争の抗議デモに参加する兵士(1970年代)
この画像を大きなサイズで見る10. ネイティブアメリカンの電話の交換手
この画像を大きなサイズで見るホテルで電話の交換手を勤めるネイティブアメリカンの女性。1925年6月撮影
11. 塹壕から這い出てきた米海兵隊
この画像を大きなサイズで見る1966年9月21日、ベトナム戦争で3日続いた戦闘の後、泥にまみれた塹壕から這い出てきた米海兵隊
12. 米ニュージャージー州アトランティックシティ(1912年)
この画像を大きなサイズで見る13. ベルリンの壁
この画像を大きなサイズで見る西ベルリン側から壁越しに覗き込み、東ベルリンにいる母親へ話しかける若いカップル。1960年代撮影
14. ベトナム戦争の捕虜
この画像を大きなサイズで見るホームカミング作戦で開放されたことを祝うベトナム戦争の捕虜。ハノイから飛行機が離陸し、ついに自由になった瞬間
15. 自由の女神
この画像を大きなサイズで見る1973年のジャージーシティから望む自由の女神。まるでSF映画のディストピアだ
16. ボウドイン大学綱引きチーム(1891年)
この画像を大きなサイズで見る17. マクドナルド1号店
この画像を大きなサイズで見るディックとモーリスのマクドナルド兄弟が米カリフォルニア州サンバーナーディーノに開店したマクドナルド1号店。
18. ベトナムとアメリカの兵士
この画像を大きなサイズで見るベトコン奇襲戦に備え、夜を明かしたベトナムとアメリカの兵士。ビンギア村付近、1965年1月、ホルスト・ファース撮影
19. ペンシルバニア州ピッツバーグ
この画像を大きなサイズで見る1940年、ジャック・デラーノ撮影
20. 銀行に詰めかける人々
この画像を大きなサイズで見る共産党が勝利する前に金をおろそうと銀行に押し寄せる人々。1949年、上海にて
21. )ヒトラー家のユダヤ人主治医エドゥアルド・ブロッホ
この画像を大きなサイズで見る1938年、オフィスで撮影。ナチスドイツがオーストリアを併呑した際も、エドゥアルド・ブロッホはゲシュタポから特別な保護を受け、アメリカへの亡命も許可されている
ヒトラーの家族は彼を主治医として育った。ブロッホ医師は貧しい一家でもしっかりと面倒を見て、ヒトラーの母親が乳がんにかかったときも、安く薬を与え、緊急のときには無料で処方した。ナチスによるホロコーストが実施された際は、彼とその妻は保護され、亡命も許可されている。ナチスドイツがオーストリアを併呑した際、ブロッホ医師がヒトラーに手紙を出すと、ヒトラーは即座にゲシュタポを送り、危害が加わらないように保護させた。
















ケネディ大統領ではなくて、
彼の弟のロバート・ケネディ司法長官ですね。
綱引きチームって何じゃらほい
フレディ・マーキュリーを2、3人見つけた
※3
綱引きは昔オリンピック種目だったから、その時の強豪チームかなんかだったのではなかろうか?
>16.ボウドイン大学綱引きチーム
これだけ死ぬほどどうでもいいんだが何か歴史的意義があるんだろうか
3番の写真とかかっこいいね
IFE AT WARとThe Best of LIFEで見た写真が何枚かあるな
この手の写真が好きならばお勧めの写真集
1930年代創刊2000年代廃刊だから、20世紀に起きた大抵の事件戦争社会現象は網羅してる
日本の事象だと、NIPPONとFRONTが戦前と戦中の写真集だからそれを集めた物があればそれがお勧め
命の重みの主観は近いほど重く遠いほど軽い
ヒトラーもまた人か
※9
良いことを聞いた。ありがとう、探してみる
※9
こういうの好きだから参考になる!
ありがとう
最後のお医者さん自身はヒトラーのことをどう見ていたのだろうか
佇まいや空気からいろいろな事を感じさせる写真だ
マクドナルドの1号店 メニューにコカコーラ10セント チーズバーガー19セントとある。さらに「当店では政府検査の牛肉のみを使用しています」だって。ww
いつの時代もあるようでwwwwww
創業者は屋号ごと実業家のレイクロックに売却してあとで大後悔したのは有名な話。
>ヒトラーもまた人か
人間だからこそ虐殺できるんだろ
矛盾した生き物なのさ
11は海軍ではなく海兵隊では?
ピッツバーグの写真は昔の飯塚のボタ山に似ている
大半がアメリカの歴史でしかないのは残念だが、南北戦争のとかよく残こしているものだと思った。
バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3でも写真撮ってたし、
写真を撮る文化はあるのは知っていたが、
それでも新聞販売員と兵士なんて、当時はごく日常の取るに足らない光景だったろうに。
いまになると、価値は計り知れない。
ヒトラーは元上司のユダヤ人を保護しようと命令出したけど無視されて殺された。
8の説明おかしいぞ
9番の写真。横断幕には「私たちは富裕層の為に戦わない(戦争はしない)」って書かれてるのか?
ベトナム戦争自体、南ベトナム・アメリカの一部の富裕層の利益の為の戦争って所があるから、そこから来てるのか?勉強不足ですまない
※19
富裕層は金で兵役免除
貧困層は失業や貧困から抜け出すために金が必要だったが、教養の無い彼らは兵役で一発当てるしか無かった
同じ時期に「学校で机を並べる事の無い白人と黒人が戦場で肩を並べてる」なんて言われて人種差別撤廃運動に拍車がかかった
ヒトラー家の主治医の話は知らなかった
ただ、第一次大戦時ヒトラーがとても世話になった上官のユダヤ人もヒトラーが
ホロコーストから保護した事を記しておく
水中写真は30分も静止していたのか…
3の写真の男の人イケメン過ぎてワロタwwwww
15教えてください
興味深いです。