この画像を大きなサイズで見る物語は自分以外の人生を体験させてくれる。小説や映画、漫画やアニメから緊張と緩和を、そして人生の大切な教訓を学んだことがある人も多いだろう。
不思議なことに、私たちは作り話だったとしてもそれを迫真のものとして受け止める。そこに登場する人物がどこかで本当に生きており、その人物の身に起きたことを、本当にあったものとして感情移入することができるのだ。
これを「フィクションのパラドックス」という。はたしてなぜ私たちはただの作り話で感情が揺さぶられるのだろうか?
脳は現実と虚構を区別できない
その答えは簡単だ。私たちの脳は、現実と作り話を区別して認識することができないからだ。だから作り話であっても、本当の話として反応する。
その一方、小さな子供のうちから物語の虚構の部分を理性的に扱うこともでき、現実の話と可能性の話と空想の話を区別している。
だから物語形式でダーウィンの進化論を論じることもできるし、作り話によって愛と死、正義、冒険、家族の諍い、乗り越えるべき困難といった普遍的なテーマを語ることもできる。
だからこそ、私たちはよくできたお話が大好きなのだろう。
人工甘味料が脳を騙して砂糖を食べていると思わせるように、物語は私たちの自然な傾向を利用して、現実の人間を知りたいという気持ちにさせる。現実社会の生き方を学ぼうという気にさせる。不思議の国のアリスのような荒唐無稽なものであってもそうなのだ。
この画像を大きなサイズで見る身の回りにある現実的な非現実
現実とフィクションを区別できないことを示すちょっとした証明もある。
たとえば、子供は人形が生きていると信じることがある。動物だって、写真に対して本物に見せるのと同じような反応を示すことがある。
街に出れば、広告など、人間の顔がいたるところにあるが、私たちはそれをインクであることなど忘れている。
人間は現実とそれを表したものを区別するようには進化していないのだ。どちらもまったく同じ認知メカニズムによって解釈されている。
この画像を大きなサイズで見る分かっていても騙される脳
ちなみに前頭前皮質をはじめとする脳の理性的な部分は、目の前にあるもの(あるいは読んでいるもの)が現実ではないということをよく分かっている。
「ミュラー・リヤー錯視」という、矢羽の向きが異なる並行に引かれた2本の直線を見れば、そのことを身をもって体験できる。
おそらく大体の人なら見たことがあるだろう錯視で、それらの直線がじつは同じ長さであることを知っている。それなのに、どうやっても同じ長さには見えない。
この画像を大きなサイズで見る錯視が脳を騙す仕組みを説明してもらっても、脳は相変わらず騙され続ける。こうした二重の知識は、架空の物語を読んでいるときにも起きているものだ。
感情が認知に影響する
脳の認知を司る領域は、感情とも密接に結びついている。そのために、感情は私たちを特定の行動をとるよう動機づけるし、世界の解釈を無理やり違うものにしたりする。
たとえば2011年の研究によれば、恐怖は視覚に影響する。気分によって錯視の見え方が変わるし、欲求によってゴールに置かれている物体の大きさが違って見えることもあるという。
その研究は、感情は「予測された行動の不利益と利益」についての情報をもたらしていると説明している。その情報は特に考えることなく速やかに利用される。このおかげで、「ある行動をとった場合に起こりうる結果をわざわざ熟慮しなくても済む」のだという。
そうしたわけで、フィクションのパラドックスは起こる。自分自身にこれはただの映画だと言い聞かせたところで、せいぜい多少その刺激が薄れる程度の効果しかない。脳はそれを現実だと信じるよりほかないのだ。
References:Paradox of fiction / nautil/ written by hiroching / edited by parumo















人間関係が最もわかりやすいが、我々は意識せずとも虚構を現実と捉えて過ごしている。
補完しなければマトモな生活を送れないから仕方が無いが、
現実と思っているものがいかに虚構で溢れているかは常々意識した方が良い。
無駄に悩んだり精神をすり減らすことがなくなるだろう。
真に認知できている現実など、毛の先ほどしかないものだ。
ゴメン、全ては願望だろう
荒唐無稽
面白おかしくちょっとだけ盛る事は有っても全くの嘘は書き込んだ事無いな~
嘘書き込んだ時点で自分で自分に醒めるわ何か…
ダジャレや親父ギャグは死ぬほど書き込んでるけど これは勘弁して貰いたいね📱(ーー;)
現実と虚構の区別がつかないというか、騙すんなら上手く騙してくれよ白けるからという作者と読者の共同作業
人間は感覚器で得た情報を、脳で「物語」として再構築している。
人間社会は入力も出力も、全て「物語」で行われていると思う。
のめり込んでる間は慥かに騙されてるのかもな
ソコが上手い作品が名作なんだろうし騙される状態が問題とも思わない
上手く騙される程気分転換になるし
現実との切り替えがちゃんと出来てれば良いだけだ
表現の自由戦士各位 コメントをどうぞ
だって、リアルはクソゲーだもん
感情移入でき、興味をそそる物語に必要なのは
「リアリティー」であって「リアル」ではない、って事だろう。
実際問題、現実の知人から聞かされた実話であったとしても
同僚の家庭内の出来事とか、恋人の子供時代のエピソードとか
自分に直接の接点が無いところで起こった話なら、
仮に全くの架空の作り話だったとしても
特に不自然な点がなければ 嘘か本当か知りようが無いし。
映画やドラマだって、たとえ荒唐無稽なSFや魔法の世界だろうが
そこに描かれる人間の苦悩や喜びの過程が共感できるものなら
自己を投影して心を揺さぶられるし、
逆に、ノンフィクションのドキュメンタリードラマでも
つまらない構成や共感できない人物像なら
「ほーん。で?」としか思わない。
説明の中に「人工甘味料が脳を騙して砂糖を食べていると思わせる」とあるが、私は人工甘味料が入った飲み物や食べ物を食べた後はすごいガッカリした気分になる。(知らないで食べていてもガッカリするのですぐわかる)
つまり人工甘味料について言えば脳は騙せていない……
※13
それは砂糖との味(成分)の違いが分かるというだけでしょ(人口甘味料は普通の人なら大体分かる)
そもそも例として出してるのが間違いなんだけどこれはそういう話じゃないよ
実話だろうが作り話だろうが自分で体験してない以上大差ないんだよね
面白ければいいんだ
物語はあくまで「物語」って概念で、そこに嘘とか本当だとか思いながら読んでる人はいないと思うが(ストーリー展開が自然じゃないから嘘っぽいとか言うのとは違う)
個人的には作者がどう世界を捉えてるかを物語から読み取って共感できるから全くのフィクションでも楽しめるんだと思う
有名な実験の話だけど
ヒトは嘘の情報(フィクション)でも想像でショック死する生き物だからね
自分は現実と非現実の区別が出来てると言う人は
限定された条件の中だけで答え合わせして納得させてるだけだよ
だから噂話にもすぐ流されるし基本的に自分の見たいようにしか見ない
「ヒトは自分が経験したことしか真に理解はしない」というのはそういうこと
夢の中だと登場人物や出来事がどんなに不自然でも
疑問を抱かずリアルな体験のように受け入れてしまうのが
不思議だったけど、ある意味これと関連した話なのかな?
特に恐い夢とか、あとから思い返すと大して怖くない内容でも
夢の中ではめちゃくちゃ怖く感じてしまう
区別できる情報がなければ区別できないよ 脳のせいじゃない
虫付きのリンゴとそうでないリンゴ知らなきゃどっちもおいしいよね
ごく自然に当たり前にできてることだから主旨をまったく理解できてない奴多すぎる
事実は小説より奇なりとも言うしね(?)
物語は一つの人格。作品を楽しむとき、人は一つの人格と向き合う。
現実の世界も同じように一つの人格として世界を捉えている。その人格は人それぞれ異なるが、答え合わせなどできないので、誰もが同じ世界=人格に生きていると妄想していられる。
実際には世界なんてどこにも存在しない。
記憶と幻想の絶対的な差は、現実世界に第三者が認識できる爪痕が残っているか。
または、複数人で同じ記憶を共有しているか、のみ。
現実世界に証明の残っていない、かつ、個人だけが覚えている記憶は、
どうやって幻想と区別をつけることが出来るのか。
現実世界は結局主観的で、「現実だと信じている個人個人の認知の集まり」でできている。
小説や漫画やアニメの登場人物は架空の人物。
でも登場人物として実在しているとも言える。
文字の中に、漫画のページに、画面のなかに確かに存在している。
それらが言葉を発し、物語をつむいでいくのを存在しないものとは言えない。
なので架空の人物たちの物語は架空ではない。
物語としてそこに存在しているのだから。
ワイら大阪人は、リアルでも話しを盛る悪い癖あるからなあ。
金本位制後の通貨もフィクション。
虚構も現実に力を及ぼしうる事例。