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ロシア帝国に関する10のダークな秘密

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 1547年、モスクワ大公国の大公イヴァン4世はロシアの初代ツァーリ(君主の称号)を戴冠する。このイヴァン雷帝で始まるツァーリは1917年まで、およそ400年間、ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、満州などのユーラシア大陸北部の広大な領土を誇る帝国を統治した。これがロシア帝国である。

 どこの国でも後ろ暗い歴史の記録があるはずだ。ここでは栄光あるロシア帝国の歴史に隠された闇に光を当ててみよう。

10. 東部の未開拓地の実働部隊、コサック兵

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 コロンブスがアメリカ大陸を発見して間もなく、ロシアはシベリアの植民地化を開始。その始まりはストロガノフ家などの商人たちが貴重な毛皮を求めたことだった。

 実働部隊はコサック兵である。その残虐さは有名で、反乱の首領を捕獲すると生きたまま皮を剝ぎ、その皮で赤子を窒息死させたこともあると言われている。また1764年にアリューシャン列島で収税官が襲われると、報復として18の村を焼き、数百人を虐殺した。

 鉄と銃より強力だったのが細菌だ。隔絶されたシベリア人たちはヨーロッパから持ち込まれた疫病に耐性がほとんどなく、17世紀中、天然痘によりシベリアに住む部族の50%が命を落としている。サハやエヴェンキの人ではさらに高く80%以上に上り、アリューシャン列島の人口は2世代足らずで2万から5,000人以下まで激減した。

9. 拷問

 ロシア皇帝はその権力を行使するために残虐な手段を用いたこともある。ロシア雷帝は巨大なフライパンで敵を生きたままま焼いたことで知られている。これはどうやらその後の傾向を決定付けたようで、1640年には役人が巨大なフライパンで人を焼いたり、血管を引き抜いたりしたこともあった。

 皇帝エリザヴェータは舌をペンチで引き抜くことを好んだ。ピョートル大帝が多様したのは鞭打ちだ。この皮の鞭で打たれるたびに1.3cmほどの肉に切り刻まれたという。彼は拷問器具で体を引き伸ばされたり、焼ごてを当てられる囚人たちを直接見て回ったとも伝えられている。

 エカチェリーナ2世の治世では、反逆者は金属のフックで肋骨を吊るされ、死ぬまで放置された。筏に吊るされ、警告としてボルガ川を流されることもあった。

8. 血みどろの宮廷

 理論的には、ロシアのツァーリはヨーロッパでももっとも絶対的な統治者とされているが、実際の宮廷は蛇の巣穴のようで、派閥同士の権力争いはときに流血を引き起こした。

 ピュートル大帝は子供時代に、武装した兵士によって宮廷内にいた母親の親族が虐殺される中、じっと耐え忍んでいたことがある。イヴァン雷帝もまた8歳のときにボヤール(支配階級)に母親を毒殺されたと信じていた。

 彼らはそれでもまだマシな方だ。フョードル2世は帝位について7週間後に殺された。ピョートル3世も妻(その後30年間を統治したエカチェリーナ2世)の命で殺害。さらにパーヴェル1世も寝室で暗殺。その黒幕の1人はその後帝位についた長男のアレクサンデルといわれる。

 そうした緊張状態に常にさらされるからだろうか。ツァーリの中には狂気に走る者も少なくない。ピョートル大帝やイヴァン雷帝は自分の子供を殺害している。

7. イヴァン6世の幽閉

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 イヴァン6世はわずか生後2ヶ月で戴冠する。しかし、1年後、エリザヴェータによってあっけなく廃位となり、彼女の命令で監獄に幽閉。その生涯のほとんどをシュリッセリブルクの要塞内の監獄で過ごすことになる。

 牢屋に窓はなく、昼も夜も知ることはできなかった。また看守は彼に話しかけることを禁じられており、唯一の慰めは聖書だけだったと言われている。

 当然かもしれないが、イヴァン6世は精神を病む。1764年、ウクライナ人士官が彼を救出しようとした際に殺された。23歳であった。

6. イヴァン雷帝の親衛隊「オプリーチニキ」

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 悲惨な子供時代の経験に加え、病気と妻の死まで経験したイヴァン雷帝はますます錯乱するようになる。そうした中、ボヤール(支配階級)に対抗するために設立した親衛隊がオプリーチニキである。

 彼らは黒衣を身にまとい、裏切り者を待つ運命を象徴するとされた切断された犬の首を馬の鞍に下げていた。その役割はイヴァンの秘密警察であり、裏切りが疑われた者を拷問にかけ、処刑。1571年にはノヴゴロドで1万人の住民を虐殺している。

5. 偽者に悩まされる皇室

 奇妙なことだがロシア帝国は詐欺師に悩まされた。そうした連中は皇室の遺族を称するのが常で、17世紀初頭の動乱時代では少なくとも3人の人物が、亡くなったはずのイヴァン雷帝の息子ドミトリーを僭称(せんしょう:身分を越えて勝手に称号をとなえること)した。

 偽ドミトリー1世はすぐに暗殺されたとはいえ、モスクワでツァーリにまでなっている。偽ドミトリー2世はその1世になりすまし、コサック兵を集結。モスクワへ進軍した。偽ドミトリー3世はプスコフを手中に収めたことで”プスコフの悪党”と呼ばれた人物で、1612年に処刑された。

 18世紀には、ピョートル3世を僭称するブガチェフが暴動を起こした。さらにモンテネグロにもピュートル3世を名乗る放浪者が出現。オスマン帝国に買収された理髪師に喉を掻き切られるまでの5年間そこを統治した。他にも少なくとも3人はピョートルを僭称した人物がいる。

4. 分派とカルト

 ロシア正教会は教派分裂を幾度も経験しており、帝国のそこかしこに分派やカルトが存在した。

 鞭身派は一心不乱に歌い踊り、肉体への侮蔑を表すために自らを鞭で打ち付ける分派だ。モロカン派は兵役を拒み、シベリアに平和主義者らのコミュニティを作ろうとした。ドゥホボール派は聖書の神聖性やイエスの神性までを否定する。

 だがもっとも変わっているのは去勢派だろう。性交をすべての罪の源と考え、儀式によって去勢を行う。男性の信者なら睾丸を切除し、鉄で焼灼。さらに完全去勢をする者もいる。女性なら乳房や女性器の切除を行う。子供を去勢する場合もあり、改宗者を集めることで1世紀以上生き延びた。

3. 古儀式派の焼身自殺

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 ロシア最大の教派分裂は、ピョートル大帝の治世においてニーコン総主教が奉神礼改革を実施したときに起きた。彼は十字架を切る仕草を2本指ではなく3本指で行うように宣言するが、多くのロシア人がこれを拒否した。

 主流派から分離した彼らは自らを古儀式派と称していたが、主流派からは分離派教徒という蔑称で呼ばれ苛烈な迫害を受けた。多くの古儀式派の信者は世界の終わりが近いと信じていたせいだろうか、主流派に発見されたと考えた場合、仲間を集めて教会に火をつけ、焼身自殺を図ったという。

2. 飢饉

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 ロシア帝国が効率性で知られたことはなく、しばしば支配者たちは定期的に起きる飢饉に苦心した。

 1891年、ツァーリは作物の不作への対応として、新聞に飢饉を封じることはおろか、その語を使用することさえ禁じている。その一方、散々後手に回った挙句、ようやく重い腰を上げて作物の輸出を禁じ、飢饉対策に出す。その結果、1891~92年にかけて40万人”だけ”が餓死した。

 さらに酷い事例もある。1601年、ペルーの火山が噴火した影響で悪天候が続いた。これによってロシアでは当時の人口の3分の1に当たる200万人が餓死。ツァーリは内乱の危険対策に追われ、対応は遅れた。遺体の口には藁を食べた形跡があり、人肉がパイに詰められて売られていたという。

1. 農奴制度の闇

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via:10 Dark Secrets Of The Russian Empire// written hiroching / edited

 ロシア帝国は農奴の上に成り立っていた。彼らは特定の土地に縛られ、地主から労働を強いられた。17世紀になると、農奴の売買が認められ、奴隷と何ら変わらないようになる。

 貴族は農奴を殺害することを許されてはいなかったが、必要とあらば体罰を加えることはできた。それによって農奴が死んだとしても特にお咎めはなかった。またシベリアに送ったり、兵役に就かせることもできた。

 農奴制は1861年に廃止された。当時のロシアの人口はおよそ6,300万人であり、少なくとも4,600万人が農奴であった。

注:海外からの情報には誤りが含まれていることもあり、できるかぎり情報精査し編集をしておりますが、見落とす場合もあります。誤りが見つかり次第記事の追記・訂正を行っていますが、外部サイトで閲覧している場合は新しい情報が反映されません。最新の記事は元記事でご確認ください。

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この記事へのコメント 63件

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  1. >この皮の鞭で打たれるたびに1.3cmほどの肉に切り刻まれたという。
    1.3cmってなんのこっちゃと思ったら原文に書いてある1.3cm(0.5in)で納得した。

    • +2
  2. 日本人で良かった
    こっちには全く無かったとは言わないが、こんなん学校の授業で教わったらひどいトラウマになりそうだ
    そりゃこれをまんま教えたりしないだろうけど、さすがに隠し通すのには無理があるだろうし

    • 評価
    1. ※4
      日本も日本で無茶苦茶
      荒木 村重のように道糞と言われるようになる
      もいたし、処刑方法でも逆さ磔とか見せ槍
      のようにかなり陰湿な処刑もあった
      まあ処刑とか裏歴史って教科書にはのらないし
      仮にやったら生徒がびっくりするだろうな

      • -1
  3. どこの王室もまさに「蛇の巣穴」だったのか。そういえば、クシャナ皇女もそんなこと言ってたなあ。

    • +12
  4. メロス「あきれた王だ 生かしておけぬ。」

    • +9
  5. 支配する者もされる者も全然幸せそうじゃない
    どちらも方向性の違う、極度の緊張を強いられているようで息が詰まる

    • +11
  6. イヴァン雷帝の息子殺しには、もう少しおまけがあって・・・
    そもそも事件の発端は、イヴァン雷帝が態度が悪いという理由で皇太子(イヴァン雷帝の息子)の妻に暴力を振るったことから始まっている。この時の暴行が原因で皇太子妃は身ごもっていた子供を流産。
    これに怒った皇太子がイヴァン雷帝に抗議に言ったところ、カッとなった雷帝が皇太子を撲殺したという次第。
    つまりイヴァン雷帝は文字通り、自らの手で自分の血統を絶やしてしまったことになる。

    • +2
  7. 分離派の焼身自殺はピョートル大帝のお父さんの代でないかい?

    • +30
  8. フランスでもイギリスでも血なまぐさい歴史はあるんだけど
    反ロシアのプロパカンダくさい

    • 評価
  9. 一番恐ろしいのは、40万人死んでも、全体のほんの一部でしかない事だろう。
    国土が広くて人口が多いってのは、良い事なのか悪い事なのか。

    • +24
  10. なんでこんな環境で国が成り立つんだろうな

    • +3
  11. 逆にこういう歴史のない国が知りたいんだが、無いだろそんなの

    • +6
  12. ロシアは未だに恐怖政治の体質を強く引き継いでいるからなあ

    • -6
    1. ※21
      道糞は自分でその名前を名乗ってたって言われてたけど学説が変わったの?

      • +22
      1. >>17
        イヴァン雷帝、妻と子供たくさんいるぞ。

        • 評価
        1. ※58
          イヴァン雷帝
          妻8人、妾多数。オプリチニキに愛人がいた(男性)。
          正妻との男子は少なくなかったっけ?
          皇子のひとり、ドミトリー皇子は早世して、後継のイヴァン皇子は自ら殺害、一人残ったフョードル皇子が跡を継いだけれど、知能に異常があって跡を残さず亡くなった。

          正式な婚姻によらない子供は汚らわしいと言って、自分の子なのに自分で踏み殺したりしている。

          • -1
    2. ※21
      日本は同一の王朝が2000年近く続いているという
      純然たる事実があるわけで、民族浄化を繰り返した大陸の凄惨な歴史に比べれば
      遥かに平和で温和な国なのは間違いないけどね。処刑史にしても
      日本は明治に公開処刑を廃絶したけど、フランスは1939年までやってたしね。

      • +7
  13. 19世紀前半のロシアの思想家ゲルチェンは農奴を「洗礼を施された動産」と評した
    「農奴解放令」以前の新聞紙上には以下のような広告がしばしば掲載されていたとされる
    曰く、『売りたし。軽装馬車1台、娘2人』
    曰く、『売りたし。使用人二組、英国産ハンガリア馬3歳』
    農奴は時として家畜のように家族から引き離されて領主によって自由に売買され、ことにイワノフカ村の「娘市場」は有名であった。

    • 評価
  14. フーリエ、サン・シモン、J・S・ミル、あるいはラッサール、
    帝政ロシア時代においては様々な外国書籍が禁書扱いとされていたが
    そのなかにはストウ夫人の「アンクル・トムの部屋」も意外なことに含まれている
    理由は簡単、アメリカ南部の黒人奴隷制度がロシアの百姓農奴制に酷似していることを読者が気づいてしまうことを当局が危惧したからである。
    以上、荒畑寒村「ロシア革命前史」
    お次は農奴をナマでみている同時代人ピョートル・クロポトキンさんの証言から

    • +17
  15. ツルゲーネフが「猟人日記」、あるいは「ムムー」によって農奴たちの生の様相を描きだすと
    読者である貴婦人方には驚きをもって受け止められた
    「農奴たちが私たちと同じように恋をするなんて本当かしら?」
    人々は農奴に人間的な感情があるなどということは認めなかったし、考えてみもしなかった。
    以上、荒畑寒村「ロシア革命前史」
    お次は農奴をナマでみている同時代人ピョートル・クロポトキンさんの証言から

    • +11
  16. ある地主がもう一人の地主に説いて曰く
    「どうしてお宅の領地の農奴はあんなに増え方が遅いのでしょう。あなたは農奴たちの結婚の世話をしてやるべきです」
    なるほど、これはしたり、説かれた地主はさっそく領地に戻って下男に自分の村の名簿から、
    法律上の結婚年齢に達した18歳の青年と16歳の娘を5組抜き出させると、次のようなお触れを出した
    「この5組は10日以内に結婚式を執り行うこと」
    彼らにはそれぞれ恋人や許嫁がいたが、地主はこれを無視した。10日後、葬式のような結婚式が村の教会で行われた。

    • +11
    1. ※25
      本当にそう思う。
      国土が広いのだから分裂しても不思議じゃないのにね。
      建国の祖自体が残忍すぎて報復が怖くて反抗する気概自体をそがれちゃったんだろうな。
      今も昔も、おそロシア。
      あの国の人達の感覚が少しズレてるのは仕方のないことかもしれない。

      • +8
  17. クロポトキン公爵(高名なピョートル・クロポトキンの父)の農奴にゲラーシム・クルグローフという青年がいた。
    彼は聡明であったために公爵は彼をモスクワの高等専門学校へ行かせ、測量の技術を学ばせた。
    高等専門学校の校長は優秀なゲラーシムを「解放」し大学に行かせるよう勧めたが、公爵は拒絶した。
    その後公爵はゲラーシムに領地を一通り測量させると、再び召使部屋に戻し、家事をさせた。
    公爵夫人が失意にあるゲラーシムをいびり、追い詰めた。そしてある時、ゲラーシムは公爵夫人の無理難題に反抗した。
    「召使が私を家の中で侮辱しました。」気の強い公爵夫人は公爵に訴えた。ゲラーシムは逮捕され、軍隊に放り込まれた。
    ……その数年後。クロポトキン公爵は軍隊内での収賄事件のあおりを食って将官への昇進が危うくなった。
    公爵夫人はこの障害を除くべくペテルブルクで工作をしていたが、ある事務官を口説くほか、道がないらしい事に気づいた。
    その事務官の名前こそ、かつての農奴ゲラーシム・イワノヴィッチ・クルグローフ
    運がいいことにアレクサンドル2世の治世のもと、クリミア戦争の敗戦による軍制改革の波に乗って実力が認められ
    陸軍省の重要な部課の実力者の一人となっていたのである。
    ゲラーシムは公爵夫人の話を聞いた。彼は公爵を救った。
    以上ピョートル・クロポトキン「ある革命家の思い出」より

    • +19
  18. 連投ごめんね
    おやすみなしゃい 

    • +6
  19. ごめん、推敲前のを投稿しちゃった。訂正します。
    農奴制は世襲である。
    農奴から身を起こし、繊維業や鉄道業の大資本家となったティモシーー・モロゾフは、1820年、彼の4人の息子の自由を得るために
    主人のリューミン伯爵に1万7千ルーブリの身代金を支払った。
    ……が、この身代金の額は4人分である。1823年、モロゾフに第5子が生まれると、前回の額をさらに上回る身代金が要求され
    その自由を得るまで10年以上、奴隷の境遇を脱することができなかった。

    • +16
  20. 人間ってのは今も昔もさほど変わらないな

    • +13
  21. ロシアの歴史を知るとねえ。
    そりゃ社会主義革命が起こるのも無理ないわなと思うよ。

    • +1
  22. タタールの軛の影響でアジア的な絶対君主と、ヨーロッパ人的キリスト教的な残酷さが同居した社会になったのかな。
    てかコサック兵って今でも居るんだよね
    グルカ兵みたいな感じで子供の頃から集団で訓練積んでて滅茶苦茶強いらしい

    • +13
  23. ロシア帝国のダークな秘密のタイトルに魅かれて来た。
    こんな内容だったとは思わなかったけど、他の国も、日本も、今の時代から見ると
    眼を覆いたくなるような処刑を行ってるし、辛い時代もあるし・・・淡々と読んでしまった。 もちろん酷いと思ったけど。 
    そして流石にカルトは・・・。だけど、まぁ世界は広いし、同じような国もあるんだろうなと・・・
    で、結局ロシア帝国(ロシア)思ったほど恐ろしくなかった。
    ロシアも普通の国なんだなと認識した
     

    • +14
  24. 趣味で部下の歯を抜いたりしたロシア皇帝ってだれだっけ?
    ピョートル一世?

    • +15
  25. 貨幣に人物が描かれてるのは、元々カエサルのローマ時代に、
    カエサルが禿で女垂らしで悪い評判しかなかったから、危機感持ったカエサルが貨幣に自分の顔を描く事で自分の権威を上げたのが始まり。
    そしてロシア革命で逃亡中の皇帝家族が捕られられたのも、皮肉にもその貨幣に描かれた人物に似た貴族を農民が発見したから。
    日本でもお尋ね者を時代劇では人相書きを手配してる描写あるけど、あれは時代考証的に間違いで、ほくろ傷等の人相情報のみ。
    固定居住者だと寺社奉行管轄で戸籍管理してたので新参者は目立つから比較的管理しやすい社会だった。

    • +11
  26. ここでは挙がってなかったがポグロムなんてのも度々繰り返してるし
    やっぱおそロシアやでぇ

    • +13
    1. ※36
      歯を抜きまくったのはピョートル大帝(一世)
      また斬髪のごとく顎髭も切りまくりもうした。

      • +1
  27. 日本が江戸江戸してた時に隣国はこんな波乱な事を

    • +1
  28. AoE3のイワン雷帝の声が脳内再生されてる

    • +6
  29. 残酷な処刑、理不尽な殺人、奴隷労働
    今でも世界で行われていることだよ
    資本市場に参加してる開明な国だって上手に何重にもヴェールを重ねて隠してる
    平和過ぎるとこういう人間の持つ邪悪の部分に触れる機会が少なくなるから
    知らず知らずの間に邪悪な意思の持ち主に破滅させられるよ

    • +17
    1. ※39
      ただ、その社会主義革命も最終的にはスターリンという、先達に負けず劣らずの怪物を生み出してしまうあたり、ロシアという国の闇の深さを表してるよねえ。

      • +21
  30. キリスト教系カルトで、スコプチに勝てるのは現代でもそういないと思う。
    どうやって産めよ増やせよ地に満ちよするの?って聞きたいくらいヤバいw

    • +13
  31. ロシア人ってアメリカを批判するとき
    よくインディアンのことを引き合いに出すけど、
    ロシアもシベリアで先住民族を奴隷化したり
    いくつかの民族は絶滅や絶滅寸前に追い込んだり
    ソ連時代には強制移住や独自の文化・言語を抑圧するような政策もやったし
    結局アメリカと同じようなひどいことしてるんだよな
    コーカサス地方でも血みどろの征服戦争して
    大量の難民がオスマン帝国に逃げ出したりとか
    チェチェンなんか現代まで尾を引いてるよね
    まあ同族のルーシ人同士でもご覧の有様だから辺境の異民族に優しいわけもないが

    • +1
  32. やはり住環境の悪さが原因なんだろうな
    日本国内でさえ気候によって県民気質変わってくるし

    • +4
    1. ※46
      ロシアによるユダヤ迫害や大虐殺は
      すべてナチスのせいにしてダンマリ決め込んでるからな。
      昔「アメリカ物語」っていうスピルバーグのアニメ映画があったけど
      あれはロシアによる虐殺を逃れてアメリカに移住したユダヤ人の話なんだよね。
      いまのハリウッドを築いたのも彼らの末裔だし。

      • +3
      1. ※42
        そうそう、日露戦争で日本が勝てたのもロシアのユダヤ虐殺に怒ったユダヤ資本家が日本に資金提供したからだったね(日本は1980年ぐらいに完済した)。
        ~で日露戦争勝利後日本は、満州を東洋のアメリカにしようと五族協和(ユダヤ入れて6族協和も)を掲げてたけど、ロシアから逃げて来たユダヤ人を積極的に受け入れてたのも日本(これは一等国として立派な人道主義を掲げた大江仙弘らの功績、大江はシベリア抑留で死亡、ユダヤ人対策綱領もこの人が基礎、リトアニアのユダヤ人ビザ発行は美談でもなくこの法制度上の副産物)。
        というのも、綺麗事抜いて利益面から見れば、日本は朝鮮&満州の近代化強化で本土が疎かになるぐらい財政難で(東北貧困→226事件→派閥消滅→陸軍暴走の遠因)、
        満州の近代化をユダヤ資本入れて強化しようとした(河豚計画等、満州をユダヤ人(河豚)に乗っ取られるという恐さ)。
        このロシアのユダヤ弾圧が満州までつながってるし、満州がそのまま戦後もユダヤ人自治区まで至っていれば、ユダヤ人は満州に集結してイスラエル建国による中東戦争イスラムテロまでは至らなかった可能性は高い。

        • +6
    2. ※46
      「あんたは、たしかにユダヤの一味だが、悪い男じゃない。
      しかし、それとこれとはべつなんだ。
      あんたを袋叩きに遭わせなくちゃならない。
      村会のみんながそう決めたことだから、やむをえないのだ!
      だから、せめて窓だけでも割らせてもらおうと思う。
      そうすればだけかが通りかかったとしても、
      みんながやったとわかってもらえる。
      でないと、おれたちはまたお目玉をくらうことになる……」
      ショレム・アレイヘム著 西成彦訳『牛乳屋テヴィエ』より、旧知のユダヤ人宅を打ち壊しに集まった正教徒の村人たちのセリフ
      闇深

      • +3
  33. 日本の闇も物凄く、凄まじく深いが、ロシアの闇も底知れぬ程深過ぎる!
    …うん、ロシアに住まうのは、美形はそりゃあもうマジで妖精みたいな美しさの民族群ではあるが、仲良くするの、ぜってームリ!!!!

    • -1
  34. 今まで彼の怪僧ラスプーチンに付いて言及が 無いのには納得
    いかんな。
    青酸カリを飲んでも銃で撃たれても燭台で殴られても平気で
    皇太子の血友病を治してロシア皇室の最後を予言した怪物みたい
    な奴だぞ。
    此奴がいなければソ連も成立しなかったハズ。

    • +9
  35. 何人かオーバーに書いてると思ってる奴がいるようだが、これまったくオーバーじゃないぞ。

    • +10
  36. ソ連の捏造プロパガンダがあまりに酷いの知ってるから
    オーバーと思われても仕方ないよ

    • +3
  37. 帝政時代でも地味に女子教育は西欧諸国と比較しても整備が進んでいたりして
    先進性と恐ろしく原始的なものとが混然一体となっているのが魅力だったり

    • +8
  38. ラスプーチンについてのお話がないのは残念
    偽ドミトリーズの小物感すこ

    • +1
  39. でも、ソ連よりもマシだったりする。ロシアって怖い。だが、共産主義はもっと怖い。

    • 評価
  40. 古い記事見つけちゃった。ユダヤ人がロシアやウクライナで計画的飢餓により500万人殺した話は出てこないのね。
    ホロモドール。5人に1人が飢えさせられたから、その後追い出されただけのこと。
    そして今、ロシアはとても穏やかな国。
    大部分の人は大地に根ざして手作り野菜を食べてるし、どこの家も大抵はおばあちゃんが子供の世話をして、家庭の味といえばおばあちゃんの味で、夫婦はいつまでも恋人同士みたいだし、、、、
    報道されない大部分の多くの人々は親切な優しい穏やかな人々です。

    • +2
  41. 筋肉少女隊 「イワンのばか」
    で歌われるロシアのカルトって何?
    イワンは安い子供をたくさん買い取り
    どこまでもどこまでも放浪する。
    子供たちは”この世の裏”を教えられ
    世をはかなみ、森の中で毒を飲み集団自殺する。

    創作だろうか?
    トルストイのほうから題だけ借りてきたことは承知です。
    念のため。

    • -1
    1. ※62
      戦後にホロコーストなんて捏造がここまで広まって
      ロシアや欧州全土で行われていたユダヤ迫害なんか無かったことになってるのが恐ろしいよね。
      極東から欧米を俯瞰すると当たり前の史実なのに、当人たちは誰も知らないというか知ろうとしない。

      • +8
      1. ※51
        一番怖いのは破滅させられることよりも無自覚に加害者の側になったりすること

        • +12
  42. この様な「人命軽視」が当たり前の国家で共産革命が発生した事が、有る意味では20世紀最大の悲劇だった…

    • +1
  43. イカれた皇帝を聖人として祭り上げるロシア正教会もだいぶヤバい。
    いつから教会が権力者の犬に成り下がったのかは知らんが、少なくとも現在のロシア政府と教会トップはズブズブで、国民をコントロールするために宗教を利用してる。
    もはや宗教団体というより、政府機関とみなしたほうがしっくりくるほど。

    • 評価

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