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HDフルカラーで見る、敗戦直後のドイツ・ベルリンの風景(1945年7月

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(著)

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 ベルリンの戦いの末期、1945年4月30日にナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは総統地下壕で自殺した。海軍総司令官カール・デーニッツ元帥が大統領に指名され新たな政府を組織したが、デーニッツは降伏タイミングを熟考していた。そしてついに5月5日午前8時(英国夏時間)に停戦する文書に調印し、事実上ドイツは敗戦した。

 この映像はそれから2か月後のドイツ、ベルリンの様子を撮影したもので、カラー化が施され、敗戦直後のドイツの様子が鮮明に伝わってくる。

Berlin in July 1945 (HD 1080p color footage)

1.破壊されたブランデンブルク門

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2.道路の真ん中にでかでかと掲げられているスターリンの肖像画

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3.倒壊する建物

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4.焼けただれたアドロンホテル

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 アドロンホテルは、ブランデンブルク門の目の前に立つベルリンの高級ホテルの代表格。もともと1907年に皇帝ヴィルヘルム2世の庇護のもと建設された由緒あるホテルで、国賓を迎える贅沢なホテルでもあった。第二次大戦中に消滅するも、冷戦後に再興された。

5.ブランデンブルク門前の破壊された車

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6.瓦礫を運ぶ女性たち

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 ベルリンでは赤軍が進軍した時、人口の63.2%が女性だったため、ソ連の軍事指令部は女性であっても躊躇なく肉体労働を科した。

7.ベルリン大聖堂

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8.駐留軍兵士たち

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9.フリードリヒ大王騎馬像

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10.水の配給を受ける男性

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11.半壊した家の中で仕事をする女性

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12.総統官邸

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13.総統地下壕への入り口

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14.カイザーホフホテル

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15.瓦礫の山と化した街

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16.ベルリン・スポーツ宮殿

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17.上空から見たウンター・デン・リンデン

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 終戦からちょうど70年たったが、カラー化された終戦直後の映像は、まるで昨日のことのように当時の記録を鮮明によみがえらせる。

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この記事へのコメント 31件

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  1. よくこんな映像が残ってるなぁと言う驚きと、たくましく生きてる人たちの生命力の強さに対する驚きと、
    ……某ゲーム内での再現度って相当高かったんだなというある意味どうでも良い驚きに、じっと見入ってしまった

    • 評価
  2. 70年前でもカラー化すると一気に近代的に感じるようになるな。
    すごいわ。

    • 評価
    1. 米3
      Call of Duty: Black Ops
      Call of Duty: Modern Warfare 3
      だと思います。

      • 評価
  3. 初っぱなから片脚無い人が出ているし、色々と衝撃的だな……

    • +6
  4. ヒトラーが建築や芸術に興味が無かったら我々は敗北していただろう、と言った将校が居たけど、確かに莫大な工事費が掛かったであろう建物の廃墟や、往事の栄華の様子が偲ばれる記念物の瓦礫が多いですね。

    • +4
  5. やっぱり石造りの建物は強いね。外郭だけでも残っているのが凄い。でも、ここから良く復興した。ドイツ人はなるべく戦前の姿に街を復興しようとしたと、何かで読んだ記憶が有る。我慢強い国民性だと思うよ。

    • +2
  6. この時点で東西には分かれてるんだけど、
    まさか20年後に壁が出来て行き来出来なくなるなんて誰も思ってないだろうな。

    • +5
    1. ※8
      逆に「紙と木でできた家」が燃え尽くしたからこそ
      トーキョーはいち早く現代都市に変身できたんだね
      (多くの犠牲の方々には申し訳ありません)
      もちろん潤沢なアメリカ資金がってのことだし
      欲を言えば復興にあたって計画性があったらなあと

      • -1
  7. モノクロフィルムのカラー化は過去に何度か流行しているけど、最近のものは元々カラーフィルムのものとほとんど区別できないね。ちゃんと記録の管理をしていないと後々誤解されそう。あと、音も作ってるところがあるのにこちらの方はYouTubeの説明覧に書いてないな。

    • +11
    1. ※9
      マジでコレ。
      こんな瓦礫取り除くのも一苦労だぜ?
      東京とか焼け野原で逆に復興簡単そう。
      付け加えて言えば当時の木造はそんなに金かかってないから燃やされても大してダメージがない。
      石造りとか壊されたら大変だろうな

      • +2
  8. ホテル・アドロンは、ヒムラーがよくスタッフ連れて昼飯食べに行ってたらしいよ。
    で、その席でシェレンベルクがアイヒマンを虐めて泣かせてたとか。

    • +9
  9. もちろん日本にも復興計画はあったんだけど、GHQが敗戦国に立派な道路は不要だとして却下したんだよ。

    • +2
  10. 瓦礫の中の敗戦状態でも白人は見た目が綺麗だな。悲壮感が少なくて文化的だし、
    有色人種の画面写りとはやっぱ違うわ。

    • +3
  11. 8のは駐留軍兵士となってるけど、制服からするとドイツの警察部隊だね

    • -1
    1. >>13
      おい。じゃあ名古屋はどうなんだ?
      100m道路は復興計画の賜物だぞ。

      • +4
      1. ※15
        ああ、確かに色はポリツァイグリュンだし、拡大すると独特な制帽が見てとれる。ゴルゲットを頚にかけてるひとも居るね。

        • 評価
    2. ※13 ※18
      戦災復興に関してはかなり地域差があります。
      名古屋・広島・仙台などは、比較的早い時期に計画が進行したため、整備が行き届いていますが、1949年のドッジ・ライン(財政緊縮的な)以降は計画の縮小を余儀なくされ、東京もその影響を受けます。
      また名古屋に関しては、当時の市長さんもかなり計画に乗り気で、積極的に事業を推し進めたと伺っています。
      GHQが東京の復興の障害になったのは事実ですが、日本の政財界の要人も、東京の大改造に否定的だった点は無視できません。
      ※22
      東京はかつて水の都でした。東京駅前にも外堀があり、銀座へ行くには必ず橋を渡らねばなりませんでした。
      空襲で生まれた多くの瓦礫は、このような水路を埋め立てることによって処理されたのです。これは関東大震災でも同じです。
      ちなみにベルリンには、戦災瓦礫で造った「悪魔の山」が今でも郊外にあり、緑豊かな丘になっているそうです。

      • -1
      1. ※22
        東京が早く復興できたのは人が多かったからで、瓦礫云々はあまり関係ない気がする。
        災害などでほとんど更地状態になった場所でも人が少ないとほんと復興遅いよ。

        • 評価
      2. ※22
        マジコレという言葉をコメント覧で書いているところからして、からかい半分面白半分で書いてるのがよく分かるけど、現実を見ないで妄想に浸っているのか?

        • +5
  12. 今の世相の流れだと、こういう状況を過去のものだと言っていられない。欧米も、日本も。

    • -1
    1. ※14
      かもしれないね。もし良かったら、この眺めの中で何が起きてたか、調べてみてまた感想を聞かせて欲しい。
      ベルリン終戦日記 あたりがおすすめ。

      • +2
    2. ※14
      人々の表情、視線を見ましたか?
      美しいですか?私には「やっと争いが終った」という安堵と
      「これからどうなるのかな?私達はどう生きて行けばいい?」という不安感、やり場の無い焦燥感を感じます

      • 評価
    3. ※14
      は?悲壮感がない?
      おいおい、当時のベルリン市は、ソビエト兵によるレ プ事件が日常茶飯事だという事実から目をそらしてないか?
      当時のソビエト兵には、ドイツ人女性は「戦利品」なので自由にしていいという許可まであったんだが。
      また、男性であってもソビエト兵の気分で街なかで昼間から集団暴行され、そのまま死んだりとかの事件が発生している。当然、ソビエト兵には、なんの罪状もない。
      また、労働力の確保という名目で、街を歩いていただけでソビエト兵に連行され炭鉱労働の強制労働に従事させれたりするような状況だぞ。(ちなみに街を歩いていたのは女性、戦利品であるので労働力として自由に連れ去ることも許可されている)
      君は、街中をあるいていたらいきなり前から来たトラックからソビエト兵が降りてきて捕まえる状況に嬉々とするのか?しかも罪状は無し、なんの罪で炭鉱労働させられるのかもわからずだぞ。
      コメントを読んでもう少し、歴史を勉強してはどうかと思った。
      また、占領下であるので、どんなに嫌な目に会おうがベルリン市から出ることは許されず出た場合は、即時銃殺もされるんだぞ。
      記事の画像をみて、女性にとって過酷な状況での生活を撮影しているという悲壮感が漂っているが。

      • 評価
  13. よく燃えたから焼夷弾が効果的だったんだろねー
    ドイツには普通の爆弾落としてたんだろか?

    • +2
  14. 東京の爆撃では、家はきれいに焼けたかもしれんがその分人もきれいに焼けた。とくに下町一帯。銀座あたりに偶然焼け残った地帯が点在しているが、周りと比べると変化がものすごいからすぐわかる。
    それと比較しても、石の建物でもこんなに焼けるのかという驚きがある。ベルリン空爆はほんとに苛烈だったんだな。

    • 評価
  15. この状況からソ連に組み込まれたわけだから
    東ドイツとなった分断国家としてはこの後どうにもならなかっただろうな
    西ドイツがドイツを救ったわけだね

    • +1
  16.  数百年前だろうが、空の青さや葉っぱや気の幹や土の色は同じ。
    洋服や軍服や軍用車両は、現在でも保存されているのでデジタル機器で
    撮影して、その映像(色関連)を貼り付けなどで白黒画像を加工。
    だから、実際よりもキラキラした色調にはなってしまうが・・・。

    • +1
  17. これはカラー化じゃなくて元々カラーの映像だろう。モノクロ→カラーの映像ならいくら技術が進んでると言っても限界があるし、元の動画の説明欄にもそんなこと書いてないし。

    • 評価
  18. もともとカラーの映像だろうね。音だけ後付け。
    フィルムには録音機能はないから。映画の上映用フィルムにはフィルムの横にサウンド用のトラックがついてるけど。
    モノクロをカラーにするのって、いちいち部分部分をマスク抜いて、それに色をつけないといけないんだよね。簡単にカラー化とか言うけど、予算も人手もすごいかかる。
    そして、例えば服も人の顔もただ一色と言うわけではなく、いろいろな色で構成されているので、モノクロの映像をカラー化すると、単色だらけの塗り絵みたいになるから、わかる人には違和感を覚えるのですぐわかるよ。

    • 評価
    1. ※32
      動画関係ないんで黙ってるつもりだったけど、スナイパーエリートV2です

      • +1

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