この画像を大きなサイズで見る自然災害、あるいは戦争などの人為的災害、ゴーストタウンと化した都市は世界各国に多数存在する。元凶がなんであれ、これらの都市は数世紀後に再び発見されるまでの間、人々の記憶から忘れ去られていたのだ。
34.カルタゴ
この画像を大きなサイズで見るかつて現在のチュニジアに位置したカルタゴは、フェニキア人入植者により建設され、地中海地域の主要な都市国家としての支配力を持った。シラクやローマとの対立が数度の侵略戦争を生み、その中でもスキピオ・アフリカヌスに率いられたローマの侵攻は目をみはるものがあった。
紀元前146年にこの都市はローマ人に滅ぼされた。その後ローマ人はカルタゴ市内を一軒一軒回って破壊や略奪を行ったり、人々を捕虜や奴隷にした後、この都市を炎上させた。しかしローマ人はカルタゴを再建し、それは帝国で最大かつ最重要な都市の一つになった。新しいカルタゴは紀元698年アラビア人の侵攻を受けて二度目に破壊されるまでの間は重要な都市として残っていた。
33.シウダー・ペルディーダ
この画像を大きなサイズで見るスペイン語で”失われた都市”を意味するシウダー・ペルディーダは、コロンビアのシェラネバダの古代都市。紀元800年頃に建設されたと考えられている。この都市の山の斜面につくられた台地が連なり、タイル張りの道は網の目のように広がって小さな円形の広場がいくつかあった。この地の部族達はこの都市をティアーナと呼び、彼らの祖先が住んでいた村々のネットワークの中心部、タイロナだったと考えていた。この都市はスペインによる侵略の最中に滅びたようだ。
32.トロイ
この画像を大きなサイズで見るトロイは現在のトルコ北西部の伝説の都市。ホローメスによる叙事詩、イーリアスで知られるようになった。イーリアスによると、この地域はトロイア戦争の舞台となった。トロイの遺跡には残骸の層がいくつか含まれている。その中の第VII層が、ホメーロスのトロイによって記された紀元前13世紀中期から後期に相当するのでは、と考えられている。
31.スカラ・ブレイ
この画像を大きなサイズで見るオークニー諸島のメインアイランドにあるスカラ・ブレイはヨーロッパの中で最も保存状態が良好な石器時代の集落の一つ。1850年に巨大な嵐がこの遺跡の姿を露出させるまで、何百年もの間砂丘に覆われていた。数戸ある住居は、この集落が放棄されてからほぼ直後に砂で満たされたため、石壁は比較的良い状態で保たれていた。またこの島には樹木が無く、家具類は石造りに限られたこともその理由の一つだ。およそ紀元前3180年から2500年に人々はここで生活を営んでいたが、その後の気候変動で寒さや湿気が高くなり、居住地はその住民によって放棄された。
30.メンフィス
この画像を大きなサイズで見る紀元前3100年頃に建てられた古代エジプトの首都、メンフィスは、上エジプトと下エジプトを統一した王である、メネスの伝説の都市。メネスが支配した土地と、上エジプトとナイル川のデルタ地帯の間の水路のあるメンフィスは、初期の頃は要塞都市のようだった。しかしその後ヌビア、アッシリア、ペルシア、そしてアレクサンドロス3世の率いるマケドニアによって次々と侵攻される。宗教的な中心地としての重要性はキリスト教の台頭とそれに続くイスラム教によって弱められた。紀元640年のエジプトのムスリム侵攻後、この都市は見放された。その残骸の中にはプタハの大神殿や王宮、そしてラムセス2世の巨像があり、メンフィスの埋葬地ネクロポリス、サッカラに残されている。
29.カラル
この画像を大きなサイズで見るペルーのスーぺ谷にあるカラルは、アメリカ大陸で失われた都市の中では最古の一つ。およそ紀元前2600年から2000年の間住民が生活していた。3,000千人以上が定住したとされ、ノルテ・チコ文化時代の都市の中でも最大級だった。そこには中央の巨大な広場の周辺に6つの丘が配置してある公共スペースがあり、スーぺ谷にある他の都市も同じつくりをした小さな丘やストーンサークルがあった。このことから、カラルがこの文明の中心だったことが推測できる。
28.バビロン
この画像を大きなサイズで見るメソポタミアの古代帝国バビロニアの首都バビロンはユーフラテス川のそばにあった。紀元前1180年頃その都市は無政府状態に陥ったが、紀元前9世紀以降はアッシリア帝国の属州としてふたたび栄えた。バビロンの鮮やかな色や豪華さは、伝説の空中庭園を建設したとされているネブカドネザル(紀元前604-562年)の時代として世に知られるようになった。現在この有名な都市の遺跡は全て泥レンガ造りの建物の残骸や破片になり、イラクに流れるチグリス川とユーフラテス川の狭間の肥沃なメソポタミア平野に残っている。
27.タキシラ
この画像を大きなサイズで見るパキスタンの北東部にあるタキシラは、紀元前518年にペルシアのダレイオス大王に併合された古代都市。紀元前326年、アレクサンドロス大王に引き渡された。時代の征服者達に次々と統治され、この都市は有力な仏教徒の中枢となった。紀元1世紀には使徒トマスがこの都市を何度も訪れたという。三大交易路の交差する位置にあったことが古代タキシラに繁栄もたらした。しかしその交易路が衰退するにつれ、この都市も廃れた。その後5世紀に入り、フン族によって滅ぼされた。
26.スコータイ
この画像を大きなサイズで見るスコータイはタイ王国の初期に存在した最も重要な歴史的都市の一つ。元々はアンコールを首都としたクメール帝国内の地方都市だったスコータイは、13世紀に独立して最初のタイの連合州の首都となった。その古代の街では80,000人ほどの人々が生活していたという。その後1351年、タイ王朝の強力なライバル都市としてアユタヤが台頭し、スコータイの影響力は衰え始める。そして1438年、その街は征服されアユタヤ王国に併合された。スコータイは15世紀の後期から16世紀初頭まで放棄された。
25.ティムガット
この画像を大きなサイズで見るティムガットはアルジェリアにあったローマの植民都市で、およそ紀元100年にトラヤヌス帝によって建設された。当初、およそ15,000人の住民のために建設された都市は、急激に拡大し、本来の碁盤目状の区画を超えて広がっていった。5世紀に入りこの都市はバンダル族に略奪され、2世紀後にバルバル人に侵攻された。この都市は1881年に発掘されるまで、ローマ帝国の歴史から消えていた。
24.モヘンジョダロ
この画像を大きなサイズで見る紀元前2600年頃に建設されたモヘンジョダロの位置は現在のパキスタンにあたり、世界でも早期に形成された集落都市の一つだった。”古代インダス文明”として扱われこともある。完璧なパターン設計を用い、計画的に区画整理がされていた。この都市の最盛期にはおよそ35,000人の住民がいた。都市の建物は特に文明的で、泥を焼き、天日干しした同じサイズのレンガと焼きを入れた材木でできていた。1920年代に発見されるまで、モヘンジョダロとインダス文明は紀元前1700年頃の歴史から消滅していた。
23.グレート・ジンバブエ
この画像を大きなサイズで見る石の遺跡の複合体であるグレート・ジンバブエ。この名が付けられた理由は、現在のジンバブエあたりに広がっていたこと、広い範囲に渡って存在する何百もの小さな遺跡と区別するために”グレート”が付加された。11世紀にバンツー族によって建造が開始され、作業は300年以上続いた。最盛期のグレート・ジンバブエには18,000人もの人々が生活していたとされている。その勢いが衰え、最終的にこの地が見放された原因は貿易の減少、政治の不安定や厳しい食糧難、そして気候の変化による水不足のせいだ、という説がある。
22.ハトラ
この画像を大きなサイズで見るパルティア帝国の影響下にあり、アラブ王国最初の首都でもあった広大な要塞都市ハトラは、幾度もあったローマ帝国の襲来に対し、その塔で補強された高く厚い壁で耐えしのいだ。しかし紀元241年、ササン帝国ペルシャのシャープール1世によって陥落され破壊された。イラクにあるハトラの遺跡の中でもとりわけローマの建築様式と、ギリシャのヘレニズム様式が東洋の装飾的な特徴と融合した寺院は、この文化の偉大さを証明する。
21.サーンチー
この画像を大きなサイズで見るサーンチー遺跡は1千年以上の建築史を持つ。紀元前3世紀の仏舎利を納めるための建物(卒塔婆)を始めとし、紀元10世紀または11世紀の仏教徒の寺や修道院までが遺跡の中に横たわる。インドで仏教が衰退した後の13世紀、サーンチーは放置されてあっという間に密林と化した。この失われた都市は1818年、イギリス人士官によって発見された。
20.ハットゥシャ
この画像を大きなサイズで見るハットゥシャは紀元前17世紀、ヒッタイト帝国の首都となった。しかし紀元前1200年頃に青銅器時代の崩壊時に帝国と共に破壊され、その後この遺跡は捨て去られた。この都市の最盛期の人口は40,000から50,000人だったと推定されている。木材と泥レンガで造られた移動式の住宅など跡形もなくなくなってしまったが、石造りの寺院と宮殿の遺跡はかろうじて残されている。この遺跡は20世紀初め、トルコの中央部でドイツの考古学者達に再発見された。最も重要な発見の一つになっているのは規則や手続き、そして古代近東地域の文学などが刻まれていた粘土製の板だ。
19.チャン・チャン
この画像を大きなサイズで見るペルーにあるれんが造りの広大な都市、チャン・チャンは、コロンブスアメリカ到達以前で最大の都市だった。建物は日干しれんが製で、仕上げには泥を使い、そこにはしばしばアラビア風の模様が浮き彫りで施されていた。この都市の中心には数枚の壁で囲まれた要塞があり、中には儀式用の部屋、埋葬室、そして寺院が設けてあった。紀元850年代にチムー王国によって建てられ、1470年、インカ帝国によって侵略されるまで存続し、約30,000人の人々が生活を営んでいたと考えられている。
18.メサ・ヴェルデ
この画像を大きなサイズで見るメサ・ヴェルデはコロラド州南西部に位置し、断崖に造られた古代アナサジ族の住居が集まっていることで有名となった。12世紀、アナサジ族は奥行きの浅い洞窟の中や、その峡谷の壁に沿って張り出している岩の下に住居を造り始めた。中には150もの部屋を有する住居もあった。1300年には彼ら全員がメサ・ヴェルデから去ったが、その遺跡はほぼ完璧な状態で残った。彼らの都市放棄の理由については依然として不可解な謎がある。仮説は様々で、干ばつによる農作物の凶作説から北方の部族の侵入説まで幅広くある。
17.ペルセポリス
この画像を大きなサイズで見るペルセポリスは強大なペルシア帝国の中心であり、儀式用の都市だった。高価な工芸品で装飾が施された美しい都は、残念ながら今ではほとんど残っていない。紀元前331年、アレクサンドロス大王によるペルシャ帝国侵攻の際、アテネのアクロポリスの焼失の報復としてこの都市は炎に包まれ焼け落ちた。大マケドニア帝国の属州として、ペルセポリスはペルシアの首都のままだったが徐々に衰退していった。
16.レプティス・マグナ
この画像を大きなサイズで見る現在のリビアに位置するレプティス・マグナはローマ帝国の中でもひときわ優れた都市だった。この地にあった天然の港は地中海の重要な拠点であり、サハラ砂漠の貿易の中心としてこの都市の発展を促し、肥沃な沿岸地域は農産物の市場となった。この地で生まれてローマ皇帝に君臨したセプティミウス・セウェレス(在位期間193-211)が都市の強力な後援者になり、彼の指導のもとに大規模な建設計画が開始された。その後数世紀が過ぎ、ローマ帝国の財政難が悪化したことでレプティスの勢いは衰え始めた。642年のアラブ人による征服後、この都市は廃墟となり、数世紀の間砂に葬られていた。
15.ウルゲンチ
この画像を大きなサイズで見るウズベキスタンのアムダリヤ川周辺に築かれたウルゲンチは、シルクロードの通過点にある大都市の一つだった。この都市の黄金期は12世紀から13世紀初期で、中央アジア帝国ホラズムの首都として栄えた。しかし1221年、ウルゲンチはチンギス・ハーンに破壊された。若い女性達や子ども達はモンゴルの兵士に奴隷として引き渡され、残されたの住民は虐殺された。この都市はチンギスによる破壊後に復活するが、アムダリヤ川のルートが急に北に移動したために住民達は永遠にこの場所を去ることを余儀なくされた。
14.ヴィジャヤナガル
この画像を大きなサイズで見るヴィジャヤナガルはかつて人口500,000人を誇る、世界でも有数の大都市だった。特にヴィジャヤナガル帝国の最盛期、14世紀から16世紀にかけて都市は繁栄した。この期間中、帝国はたびたびムスリムの国と戦っていた。1565年、帝国軍がムスリム軍に大敗し、都市は引き渡された。勝利したムスリム軍は数ヶ月に渡って徹底的な破壊や虐殺を続け、都市とヒンドゥーの寺院を破壊していった。以後この都市は、存在し続けたにも関わらず、本来の首都ヴィジャヤナガルは再び支配されることも再建されることもなかった。
13.カラクムル
この画像を大きなサイズで見るメキシコはカンペチェ州の密林内部に隠されたカラクムルは、現在までに発見された最大のマヤ都市だ。カラクムルは同盟国とのネットワークを使って包囲網を築くことで、当時絶大なる権力を持っていたティカルに対抗することができた勢いのある都市だった。6世紀後半から7世紀末にかけてカラクムルはティカルを完全に潰すには至らなかったものの優勢になった。ところが、紀元695年、ティカルの総攻撃により情勢は再び逆転する。その後最終的に両都市はマヤ崩壊の余波で消滅していった。
12.パルミラ
この画像を大きなサイズで見るローマ帝国の属州シリアの地中海の港と、ペルシアにつながるキャラバン隊の通過するルート沿いにあったパルミラは、何世紀にもわたり、貿易都市て栄えていた。212年の始め、ササン朝ペルシアがチグリス川とユーフラテス川の河口を占領したため、パルミラの交易は縮小された。都市をササン朝の威嚇から救おうと、ローマ帝国のディオクレティアヌスが壁を築き都市を拡張した。634年、パルミラはアラブ帝国のムスリムによって占領されたが、都市は無傷で保たれた。オスマン帝国の支配下におかれたパルミラは衰退し、ただのオアシスの村落程度に小さくなった。17世紀西洋の旅行者によってこの地が再発見された。
11.クテシフォン
この画像を大きなサイズで見る6世紀、クテシフォンは世界でも有数の大都市の一つに数えられ、古代メソポタミアの有力な都市でもあった。その重要性から、軍事的目標としてまずローマ帝国に占領され、さらに時を経てビザンティン帝国(東ローマ帝国)にも侵攻され、合計5回も占領された。イスラム教徒によるペルシャ帝国侵攻の際、クテシフォンはムスリム軍により陥落した。8世紀にアッバース朝の首都がバグダッドに築かれた後、この都市は急速に衰え、まもなく廃墟になった。クテシフォンは「千夜一夜物語」の中に登場する都市、イスバニールの元になったと考えられている。場所はイラクに位置し、現在見ることができる遺跡はホスローのイーワーン(ホスロー1世の宮殿の一部)の大きなアーチのみである。
10.ハヴァルセー
この画像を大きなサイズで見るハヴァルセーは、グリーンランドに3つあったヴァイキングの居住地の中でもっとも大きな東の居住地。紀元985年頃、アイスランドから来たノルウェー人の農民達が定住した。最も栄えた時期には約4,000人の住民が住んでいた。14世紀半ば、西の居住地は無くなったが、東の居住地その後60年から70年間存続していた。1408年、ハヴァルセー教会で結婚式が行われたという記録があるが、それが最後の情報になっている。
9.アニ
この画像を大きなサイズで見る東西のキャラバン隊の交易ルートに沿いにあったアニは、紀元5世紀に台頭した後、にぎやかな街に成長して10世紀にはアルメニアの首都になった。この時期、中世の建築様式の優れた建築物を含め、多くの教会が建てられ、”1001の教会がある都市”と謳われた。最盛期のアニには10万から20万人もの住民が暮らしていた。13世紀にモンゴルが侵攻し、1319年の壊滅的な大地震が起こるまでは、アルメニアの代表的な都市だったが、交易ルートの移動により衰退の一途をたどった。最終的にこの都市は廃墟になり、数世紀もの間忘れ去られていた。アニの遺跡は現在のトルコにある。
8.パレンケ
この画像を大きなサイズで見るメキシコのパレンケはマヤに存在した他の失われた都市よりも規模が小さかったが、そこにはマヤが生み出した優れた建築物と彫像が多数存在していた。パレンケの建造物の多くはおよそ紀元600から800年に造られたものだ。この都市は8世紀中に滅んだとされている。農業を営む人々は数世代の間そこに住み続けたが、その後この都市は捨て去られ、森に覆われ風化していった。
7.ティワナク
この画像を大きなサイズで見るボリビアにあるチチカカ湖の南東の湖畔そばにあったティワナクは、インカ帝国の先駆者の遺跡の中で最も重要なものの一つに数えられている。紀元前300年から紀元300年まで存続したティワナクは文化と宇宙の中心であり、多くの人々が礼拝に訪れたと考えられている。その共同体は7世紀から9世紀の間に都市レベルの人口に達し、南アンデスの要所として成長した。最も栄えた時期には1万5千から3万人の居住者がいたとされているが、最近の衛星画像で、さらに多かった可能性があると指摘されている。紀元1000年頃、大規模な気候変動によって、帝国に権力の象徴である食糧生産が困難になり、消滅していった。
6.ポンペイ
この画像を大きなサイズで見る紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が噴火し、火山灰や土砂が近隣の都市のポンペイを覆った。その悲劇が起きた日の状況のまま都市は幕を閉じた。壺やテーブル、絵画などありとあらゆるものに加え、人々の時間も止まったまま固められてしまった。ポンペイはヘルクラネウムの街と共に放棄され、ついにはその地名や場所も忘れ去られた。この地域が発掘調査で発見されたのは18世紀のことだった。火山灰に埋もれたまま時が止められたこの都市は、通常では想像できないほど細かい部分まで、2千年前の人々の暮らしの様子を伝えている。
5.テオティワカン
この画像を大きなサイズで見る紀元前2世紀、メキシコの渓谷で新たな文明が生まれた。この文明は活発な大都市テオティワカンと巨大な階段付きピラミッドを築いた。紀元6世紀に起きたテオティワカンの人口の減少には、気候変動による長期の干ばつが関係していた。テオティワカン帝国の消滅後およそ700年が過ぎ、アステカ族がそのピラミッドを崇拝して活用し、巡礼地になった。
4.ペトラ
この画像を大きなサイズで見る時の刻みと同じくらい古い、薔薇のように赤い都市”の伝説をもつペトラは、ナバテア王国の首都だった。広大で独特な都市は数世紀前、ナバテア族によってヨルダンの南にあるワディ・ムーサ渓谷の側面に築かれ、中国、インドそしてアラビア南部とエジプト、ギリシャ、ローマに通じるシルクとスパイスの道の重要な中継点になった。幾度にもわたる地震が水の管理システムに障害をもたらした後、6世紀にはほぼ完全に捨て去られた。十字軍の遠征後、1812年にスイスの旅行家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトに再発見されるまでの間、ペトラは西洋世界に忘れられていた。
3.ティカル
この画像を大きなサイズで見る紀元200年から900年の間、ティカルは人口約10万から20万人を有するマヤの大都市だった。ティカルの人口がピークに達した時、周囲の森林伐採による土壌侵食で、その後の人口は急激に減少した。830年から950年の間にティカルはその人口の大半を失い、中枢としての権威も急速に失墜してしまったようだ。950年以降はほとんど廃れてしまったが、一握りの住民はその遺跡内部の小屋で生き延びた。そんな彼らも10世紀または11世紀にはティカルを捨て去り、その後1000年間、グアテマラの熱帯雨林だけがこの遺跡の住人であった。
2.アンコール・ワット
この画像を大きなサイズで見るカンボジアにあるアンコール遺跡群は、紀元9世紀から15世紀に存在したクメール王国の首都であり、荘厳な遺跡の数々で知られる広大な寺院都市である。この中には単一宗教のモニュメントとしては世界最大の寺院遺跡であるアンコール・ワットと、巨大な人面像の数々で知られるバイヨン寺院(アンコール・トム遺跡内)も含まれる。長い歴史の中で、アンコールの宗教はヒンドゥー教と仏教を行ったり来たりしている。アンコール王朝(クメール王朝)時代は、アユタヤ王朝の侵入で略奪された1431年あたりまで存続したとみられている。その後仏教徒の神聖な崇拝地でもあるアンコール・ワット以外の遺跡群はほぼ全て放棄された。
1.マチュ・ピチュ
この画像を大きなサイズで見る世界で最も有名な失われた都市の一つであるマチュ・ピチュは、数世紀を経て1911年、ハワイ人の歴史家ハイラムによってウルバンバ谷の高所で再発見された。”インカ帝国の失われた都市”は何世紀にもわたって人目に触れず、谷の下からでは全貌が見えなかった。そこは段々畑に囲まれて湧き水が流れ、完全に独立していた。ペルーの地元の人々には知られていたものの、その再発見以前に外界に広く知られることはなかった。
原文翻訳:R
















ほら、あれだろ、モヘンジョダロ?
・・・チャン・チャン
日本の帰雲城は街じゃないから駄目か
ぞくぞくするな、こういうの。
シリアの都市は、マジでこういうところに「もうそろそろ名を連ねそう」な勢いだよなぁ・・・
意外と中国大陸の都市が出てこないな。
外観を留めていないからなのか?
全部の遺跡を訪れてみたいが
先に金か寿命が失われるだろうね(笑)
※6
高昌故城とかありますけど、かなり壊れてますからねぇ…
全部まわって見たいけどお金がない・・・
>ハンニバルに率いられたローマの侵攻は
管理人、間違ってるよ。
ハンニバルはローマの侵攻を食い止めた人で、ローマ軍を率いてきたのはスキピオ・アフリカヌスだよ。
合わせて読みたいのポンペイ記事が面白すぎる
いや、面白いというか凄い
26の写真はスコータイじゃなくて、アユタヤの写真な。
建築様式が違う。
軍艦島
楼蘭はないのか
テオティワカンの写真がビンビンくる
日本は石造りの遺跡がないから無理だね。
広島や長崎、神戸も入ってると思ったが、再建されてると対象外なのかね
あとホメーロスがホローメスになってる部分がある
もしこの瞬間に殆どの都市が廃墟になったりしたら遥か未来でドバイを発掘する人は
「何かここだけ時代おかしくね?」とか思ったりするのかな
中央アジアの楼蘭が無いのが意外だ
カルタゴかぁ…日本にそっくりなんだよね。日本の未来がカルタゴみたいにならないことを願います。後から作り直してもローマが良いことにはならないよね。
ヌミディアが攻めてくるから助けて欲しいって戦争放棄させられてるからローマに頼んだら無視して黒幕がローマさんで、国を壊して奴隷にしちゃったっていう。カルタゴの文化が云々ってあること無いこと言って悪いイメージつけて散々やったとか。
でも一番はカルタゴ国民が平和ぼけして軍事が弱くて自分達が攻められることを陰謀論だとかで信じなかったとか。滅び方がちょっとね。
中学・高校の歴史の授業でもこういうのやれば寝るヤツ減るんじゃないかと思うんだけどな.
滅亡した古代都市ってロマンの塊で凄く面白いよね.
普通に世界史の授業受けてるだけだと途中で唐突に出てきた感がある
南北アメリカや中東も, 下手すりゃ紀元前から都市ができるほど人が暮らしてたのも
わかるし, そこを理解できれば今世界中で戦争やってる無意味さも
少し判るようになるんだけどな.
20世紀以降に失われた都市を見てみたい。
大戦とか原発事故が原因だろうけど。
古代のロマンだね~。若干物悲しいのがまた・・・。
※21
歴史の授業がつまんねぇのはタダの出来事の暗記だからな
面白いところに触れないからつまんないんだよ
俺はこういう海外の遺跡とか宗教施設に行くのが好きだけど
学生の頃の歴史の授業なんかちっとも面白くなかったが実際自分の足で歩いて
その歴史に触れて調べていくとすごく面白いしロマンチック
でもそういう震えるほど素敵な遺跡は大概行くのが大変でバスで半日、乗合ジープで数時間とかそんなのがザラ
悠久の時を経ていま
貴方を探しているひとがいるかもワニよ
ありがとう。こういう記事が凄い好き。全部行ってみたいなあ。
学校の歴史と理科と音楽は歴史嫌いと理科嫌いと音楽嫌いを量産するよね
あと国語と英語もかな
今はどうなってるのか知らないけど
スレタイからてっきり近代都市の廃墟かと思ったが、こっちも普通にそそられるぜ
もし日本から選出するなら三内丸山遺跡とか、吉野ヶ里遺跡とか、平城京はじめ各時代の都が入るのかな?
リンカーンが奴隷解放宣言をしたのは何年か?(日本の授業)
あなたがリンカーンなら奴隷解放宣言をするか?(外国の授業)
ランス・オ・メドーがない・・・
ヴァイキングがなぜあのような極寒の厳しい土地に定住しようと思ったのか。
これはほかの遺跡を見たときもよくすることなんだが、不十分ながらも知識や想像力をフル動員させることにしてる。
為政者だけでなく住民や訪問者の思いや生活ぶりを廃墟になってしまったモノになぞらえてみると自分がその時代の当事者でありながら傍観しているような変な気分になる。
もう何年もそういったことを現地ではしていない。管理人には貴重な時間を作ってくれて本当に感謝したい。
失われたアーク読んだからうるうるしながら読ませてもらいました。
(トンデモ本で有名だけど)
日本の城の石垣みたいに自然石を組んでるのもいつくかあって感激した。
福島は?
こんなとこでスカラ・ブレイの名前目にするとは
ホントにあった都市とは知らなかった。
※31
真っ先にUO思い出したよ。
RPGの世界やな。
昔の人は楽しそうや
都市文明の終焉と気候変動は関係がある。
文明の気候史観とかもっと主張してもいいね。
アンティオキアもない・・・東地中海最高クラスの学術都市だったのに・・・
でもこういう歴史の中に忘れられた都市ってロマンを感じざるを得ない。
コレだから歴史は面白い。
だからこういうものはちゃんと保存して残して欲しいと切に願うし、それに取り組んでいる人々には感謝の念を送りたい。
カルタゴは草が育たないように塩まで撒かれたそうな
今僅かに残ってるの遺跡はローマ人が作ったものでカルタゴ人が作った都市は・・・
かの有名なハンニバル・バルカがどんな都市で育ったのか
それを知る術はもう無い・・。
Rって誰じゃいな
とんこうとか
三内丸山とか
現代って遺跡として残りそうなものはほとんどないし、遠い将来の考古学的に「失われたxx年」とか思われそう
こういうの見るのって、超すき!
掲載してくれてありがとうございます。
>1812年にスイスの旅行家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトに再発見されるまでの間、ペトラは西側世界に忘れられていた。
この表現に少し違和感があるな
西洋世界と言いたいのだろうが西側世界では意味が変わってしまう
中世に100万の人口を有していたが、
100万人全てモンゴル人に虐殺され廃墟となったメルヴもリストに加えるべきだ。
楼蘭なんか挙がってもおかしくないと思うんだけどな
今でも文明が続いてる日本ってスゲェーな
近代以降のも知りたいな。
アメリカ西部のゴーストタウンとか、チェルノブイリとか、軍艦島とか、よく知られているもの以外でも、興味深いケースがけっこうありそう。
18の都市ってなんかのアニメで出てなかったか・・・?
随分前のような気がするから気のせいかもしれんが。
あれ?アルハリ砂漠のウバル(Ubar)が入ってなくね。
最後の記録が結婚式ってのがなんとも言えぬ
>この名が付けられた理由は、現在のジンバブエあたりに広がっていたこと
逆でしょ。ジンバブエは現地のショナ語で『石作りの館』っつ―意味で、国の名前は元々はローデシアだったはず。
偉大なる遺跡にちなんで、ジンバブエに改名したんじゃなかったかな。
※50
シャーマンキングじゃね?
ジンバブエってのは「石の家」って意味で、ジンバブエにあるからこの遺跡がグレート・ジンバブエなんじゃなくって、遺跡にあやかって国名をジンバブエとつけたはず。
14がワンダと巨像にあった建物に似てる!
ポンペイ最後かなと思ったらマチュピチュ・・・忘れてた
日本もいつか失われた文明に数えられるんだろうな。
なんか感慨深いわ。
4のペトラは映画「インディジョーンズ最後の聖戦」に出てきたような
滅びゆく文明の担い手の悲哀、戦争に敗れ虐殺されていく住民や王侯たちの苦しみを考えると、日本はこうなりたくはないなと思ってしまう。
しかし同じ民族内での支配者の勢力争いからは程遠い残酷さだな。
重機の無い時代に、よくぞこれだけ立派な物を造ったものだ
地中海世界の都市のほとんどにローマが関わっているんだな すごいなローマ
5.テオティワカンの空の青さが凄い
何時の時代も争いが絶えなかったんだね…
ISISはこういう遺跡を破壊したね。
ひょっとしたら古代にももっと遺跡はあったのかもしれないね
いつの時代もISISみたいな野蛮な人種はいたと歴史は語ってるんだよね
日本の授業はもっとちゃんと歴史を教えるべきだよ
ISにパルミラ壊されなければいいが…。
日本なら朝倉氏の一乗谷が失われた都市(都市と言うより街)だとおもう。
近代日本なら軍艦島か炭鉱町だろうね
地震や津波で崩壊した町はその場所に再建しちゃうのが日本的
古代ロマン!
こういうの見るのが趣味なので勉強になりました。楼欄敦煌はロプノールみたいな謎と発掘調査のサイトから異次元な難しさがありふれ別の記事にするのでは?
世界中そして日本の遺跡地下遺跡もたくさん記事にしてください。
ちょくちょく間違いがあるなぁと思ったらやっぱり原文は欧米人か。日本人の記事にしては雑だと思った。誤字も散見するけど、これは訳者のせいか。
シウダー・ペルディーダ、スカラ・ブレイ、ハトラ、レプティスマグナ、カラクムル、クテシフォン、ハヴァルセーは行った事ない。イラク、リビア以外はコロナが収まれば仕事なければ行けるんだけど。50選ぐらいにして、グゲとかメルブとかパガンとか中央アジア以東ももっと紹介してほしかったな。メソアメリカも少ない。ローマ以前の欧州も。
現代にも過疎化や産業の衰退等、様々な地域、都市の問題が有る。戦争に関しても他人事では無い。科学や強い国家の恩恵で難易度は下がっているが、限界集落や将来的に消滅都市化が懸念されている地域も有る。貿易ルートの変更により栄えなくなり消滅した、という事例は参考になるし、東京大地震、富士山の噴火等を考えると東京も無関係では無い。インターネットのセキュリティ問題さえ解決出来れば各省庁や基幹産業の一極集中も解決出来る。このまま全て東京で良いのか?大都市集中のままで良いのか?天災や戦争で被害を受ける事を想定すると他都市やインターネット上に機能分割や移転が出来ないと壊滅的な被害を被る。コロナ禍の危機だからこそ、他の危機について検討する事も必要だろう。コロナ禍もそうだが、危機はいつか必ずある日突然やって来る。その日を考え準備しながら普段の毎日を生きなければならない。当たり前の日常は様々な事を行っているから叶っている。何もせずに当たり前の日常は訪れない。
モンゴルに破壊された都市が多いな