この画像を大きなサイズで見る大人になると、目の前に困っているがいても、あれこれ考えてしまい助けるのにも勇気がいる。だが子供は自分の気持ちに正直だ。時にそのまっすぐな言動が誰かを傷つけることもあるが、誰かを救うこともある。
アメリカのカンザス州にある小学校に通う9歳の女の子は、いつもボロボロの靴を履いていることで他の生徒たちにからかわれているクラスメイトの男の子にこうたずねた。
「どうして新しいスニーカーを買わないの?」
男の子はこう答えた。
靴がボロボロでからかわれていた少年
カンザス州マクファーソン郡の小学校に通うエイヴァちゃん(9歳)は、ある日クラスメイトの少年が、スニーカーが古いことをネタに他の生徒たちからからかわれているのを目にした。
エイヴァちゃんが、「どうして新しいスニーカーを買わないの?」と少年に尋ねると、彼はこのように答えた。
両親は、食べ物や生活費を払うのが大変で僕の靴を買う余裕がないんだ。
靴が古くなったら新しい靴を買ってもらえるのが当たり前だと思っていたエイヴァちゃんにとって、彼の言葉は胸に響いた。でもなんとかしてあげたいと思った。
心から少年の力になりたいとおもった少女
エイヴァちゃんは家に帰るとすぐに母親のシャノンさんにこのことを話した。そしてどうしてもこの男の子に靴をプレゼントしたいことも伝えた。
その話をしていたのは週末のことで、月曜日がやって来るとシャノンさんは忙しさもあり、少年の靴のことをすっかり忘れてしまっていた。
ところが、エイヴァちゃんは忘れてはいなかった。
月曜、学校へエイヴァちゃんを迎えに行ったシャノンさんは、「靴のサイズは4(22.2㎝)だって」と言う娘に、「何のことを言っているの…?」と一瞬思ったが「彼の靴のサイズだよ」と言われて、娘が本気で考えていたことに気付いた。
シャノンさんはこの後、エイヴァちゃんと共に、彼の靴を買いに行った。
少年にプレゼントする靴を持って学校に登校
そして次の日、エイヴァちゃんは少年のために選んだスニーカーを持って元気に登校。
そのスニーカーを、彼のリュックの中に入れてあげるのだと言っていたエイヴァちゃんは、小さなメモも添えていた。
親愛なる●●へ。気に入ってくれるといいな。
この出来事をフェイスブックに投稿したシャノンさんはこう綴っている。
子育ては常に山あり谷ありですが、いつも子供たちの正直さと誠実さに驚かされます。人に思いやりを示すのに躊躇はいらないのだなと思いました。
世の中は嫌なことも多いですが、エイヴァのようなまっすぐなスピリッツ(魂)も時には必要なのかもしれません
小さな子供たちから大人が教えられることや気付かされることは、実は意外と多いものだ。良かれと思ってしたことが仇となる場合もあることを知っている大人は、助けたいと思う気持ちがあってもなかなか手が出せずにいる。
断られたらどうしようとか、他の人の目とか、行動を起こす前に考えることが多すぎちゃうのだ。
台風19号で電車が不通になった時の友人の話だが、その日会社に行く予定だった友人は駅に着いたものの電車が動かずどうしようか考えていた。
駅前のロータリーにいた友人に車に乗った女性が声をかけた「●●駅にいくのなら私の車に乗ってきな!」友人は突然のことで驚いたが、ありがたく女性の車に同乗したという。更にもう1人、男性も近くにいたのだが、その男性に対しても女性は同じように声をかけ車に乗せたという。
その女性は常日頃から困った人に対してそうしているのだろう。当たり前のように声をかけ、当たり前のように目的地に運んでくれたその女性に対し、すごくかっこよかった!と友人は語った。
他人の車に乗ることを躊躇する人だっているだろう。断られたっていい、とりあえず困っている人には声掛けするのがこの女性のスタンスのようだ。
日本でも小都市においては、報道されていないだけで、毎日たくさんの親切が行われているのだなーと実感した瞬間だった。
References:kake.comなど / written by Scarlet / edited by parumo
















俺も恥ずかしがらずに親切にするよう心がけています
素晴らしい記事をありがとうございます
イイハナシダナー
気持ちは分かるし、子供がそこまで思い至らないのは分かるし、行動したことは素敵だとは思うけれど
からかわれてる子に「どうして新しいスニーカーを買わないの?」ではなく、
からかってる子に「どうして人をからかって悲しい気持ちにさせるの?どうしてそれが面白いことだと思うの?」じゃないかなぁ。
>>4
そうしたとしても間違いではないだろうね、でもどれが正解とかでは無いと思うよ。言ったことでもっとエスカレートするかもしれないし(もちろん逆にこの記事が絶対正解という事でもなく)
ただプレゼントした方とされた方の双方にとって良い結果になったならそれでいいと思うけどね。
>>4
面白がってるやつに何を言っても無駄だと思うよ。自分が本気で楽しいと思ってるからからかえる。
それを止めるのは同じ立場の子どもである少女の役割じゃない。
この少女が直接そんな経験からくる大人の徳を唱えたって、生意気で終わるだけだしこの子がからかいの対象になるだけ。言葉っていうのは相手の立場で重みが違ってくるんだよ。
ゲームに熱中してる子に同じ年の子が「こんなのして何が楽しいの?」「どうして面白いことだと思うの?」って聞いたらゲームやめるかって例えなら分かるかな。
それと同じくらいおかしい話なんだ。
正論を言うには相手の立場と事情を踏まえて考えるべきだって私はそう思ってるよ。
>>4
それは大人が言うべき事であって、同じ子供が言うべき事じゃない
それにそれは自分のエゴを正当化して攻撃してるだけで、からかわれてる子の事なんか何にも考えてない浅はかな行動
事態をややこしくしたり、悪化させるだけで何の解決にもなってない
この女の子のやり方の方が対処方法として正解
※4 にマイナスついてるけど、ゲームをして楽しいのと人を馬鹿にしたり貶して笑う楽しさは全然違う。私なら自分の子供がそんな事してたらそれは人として恥ずべき事として叱るけど。
※36
いじめっ子はゲームもいじめも同じ楽しさなんだよ
だからいじめるんだし
※36
自分の子供がイジメしてたらそりゃ叱るさ、そんなの当たり前
でもこの女の子もその母親もイジメっ子とは関係無い他人なんだからさ
なんでこの女の子がイジメを楽しんでるサイコパスキッズ達に立ち向かって意見しなきゃいけないのよ
イジメっ子にゲームの楽しさとイジメの楽しさは違うよ!と教えるのはイジメっ子達の親がやるべき事だから
※4
小学校の頃、いじめっ子に同じような反論をした事があるよ。
何でこんな事するの?何が楽しいの?って。
返ってきたのが『いろいろ面白いじゃん。反応とか』みたいな答えだった。
なので※4さんのような言葉では、からかってる子は多分反省も内省もしない。
だから、からかうための口実を一つ潰したエイヴァちゃんの行動は
悪くない方法だと思うけど。
※4
あなたは両方の話を聞いたことがある?
私は両方の話を聞いて弱い方の子についたら、結果、自分がいじめられる側になったけど、正直、屁でもなかったよ。
※4
女の子の気持ちがわかってないのでは?
いじめっ子はタイプじゃないんだ、意地悪されたこともあるだろうし。
からかわれてる少年はタイプなんだ、彼の笑顔が見たいんだよ。
話題の「僕はイエローでホワイトで…」を詠んだところだけど、似た話が出ていたな。
リペアした制服をクラスメートにあげるのに、あれこれ悩んだ末に「友達だから」と素直に言う少年。
大人になると出来なくなることが多いね。
※4
言い方悪いけど、少女もいじめっ子と同じく「靴ボロボロでおかしい」って思ってたって事だな。
少女は純粋に親切で「新しい靴買ってもらえばいじめられないのに」って思ったんだろう。
だけどそれを聞いたからこそ、本当に貧困な家庭が存在するという事を知る事ができた。
>>4
貧乏を馬鹿にすべきでないという意味ではそっちが正しいのかもしれないが、
いじめられっ子自身が
ボロい靴に困ってたんなら
新しい靴もらえる方が嬉しいだろ。
>>4
この子は靴がボロくなれば買ってもらえる生活水準の中で育ってて、からかわれるほどボロくなってるのになぜ買ってもらわないんだろう?という疑問が先に浮かんだというだけではないかな?からかってる理由はボロいからだとわかってるけど、からかわれてるのに買い替えない理由はわからない、てことだと思うよ。
この男子はその親がどんな反応をしたかも気になるなー。男子は素直に喜んでも親は見下してんのかとか卑屈な反応ではなかったことを祈る。
イイハナシカナー?
金が有り余ってる富豪ならともかく、ただの同級生からの施しは侮辱になりかねない。
この女の子が手伝いやレモネード売りなりして自分で稼いで買ってプレゼントしたのならともかく、親に買わせたのもモヤっとする。
※7
同じような事を書いたらコメント消された。カラパイアの不思議。
金銭的な問題を親に解決させているだけですよね。
親の手伝いをするとか、自分で何かしらの方法で稼ぐとかしてないし、させている風でもないし。
>>14
何でそんな思考しか出ないのかあなたの方がよほど不思議
>>14
もしかしたら貯めてたお小遣いで買ってきてって言ったかもしれないじゃん。
※7
同意
なんだろ、子どもの優しい気持ちは素晴らしいことだし、子どもだから「買ってあげて」となるのは仕方ない。それはいい。でもここで親は「代わりに買ってあげる」という安易な行動に出るべきじゃなかったと思う
>>7
と素直に喜ばない奴ばかりがいるから
ほんわか話が珍しいと思えるぐらいギスギスしてるんだ
>>7
と、いうふうに大人は思っちゃって行動起こさないねって話だと書いてあるではないか
>>7
なるほどね、こうやって大人は何も行動を起こさず、行動を起こした人の評論だけして終わるのか。
周りの目ばかり気にしてる大人にならず、人を思いやり常に行動できる大人ばかりだとこんな世の中にならなかったんだろうな
「施し」に反発する人もいるだろうけれど、もし拒否されても、屈辱に感じても、それはまたひとつの経験。
でも体験上、日本人の友人は「施し」を「上から」と捉えてに嫌悪感を持ったり「同情」をまるで悪いもののように思う人が多いようだけれど、国籍、宗教(といってもキリスト教かイスラム教、仏教だけだけれど)を問わず海外の友人たちとの間ではあまり感じない。素直に厚意は受ける、でも何らかの考えがあって受け取りたくないなら断る、とはっきりしている気がする。
宗教にごく自然に馴染んでいる人と、宗教に偏見のある人(頃更に「無神論者だけど、とか宗教は嫌いだけど、とか枕詞をつける人多いですよね」)との違いかな、とも思っている。
良い話。自分が9歳の頃を振り返るとクラスは妙にませていて、女の子が男の子にプレゼントなんかしたら性的な噂、陰口、ちょっとしたイジメさえあった。なんだか恥ずかしいよ。
と思ってたら、そういえば私も親の知人のオバちゃん家から体操着のお下がりとか貰っていたのを思い出した。
覚えていないだけで、結構たくさん優しくされていたんじゃないかな。もしかしたら知らされていないところでも、たくさん優しさを貰っていたんだ
日本だとこういう場合は個人が特定されないように色々ぼかすけど(例えば名前はもちろん靴の写真も載せないとか)、海外ではわりとアリなのかな?
喜んでくれてるといいね!
昭和の頃は、知らない人を車に乗せてあげたり、ヒッチハイクとか割とあった気がする。 昭和は遠くなりにけり。
これって結局、双方の心持次第だと思う。
自分があげる場合なら、もらう側が、
ありがとうって言ってにこにこしてればそれで問題ないし、
相手が侮辱だと捉えるようなら、二度とあげないと思う。
逆に自分がもらう側なら、出来る限りの範囲でお返しをしようと思う。
金が無かったら、仕事を一生懸命やるでも、何か小さなことを手伝うだけでもいいから、
感謝の気持ちを伝えようとする。
間違っても侮辱されたなどとは思わないけどね。
お互いに、貰い上手のあげ上手になればそれでいいんじゃない?
コメ非承認多くて笑う
親切のチャンスって案外一瞬で、コメ欄で言われるようなあれこれ考えてる暇ってなかったりするよね
子供みたいに素直になれればいいんだけど、色々考えちゃう
>>16
そうだね。実際ここのコメみたく絶対否定的に言ってくる人もいるからね、そんなこと気にしない!!ってすぐに行動出来る勇気と強さが欲しいな。
>>16
偽善でも助かる人や喜ぶ人がいるならいいと思うんよね。ただ結局大人になるにつれ綺麗事を言うくせに行動はしないって人が増えてくんだわ。
いいじゃん!こういうやり方があってもさ!
9歳の子供が自分なりに考えて、でも自分だけではどうしようもないから自分の親を頼って協力してもらった。
いい大人が幼い純粋な親切に何を注文つけることがある?
他人の施しを素直に受け入れられるのは身の程をわきまえてるとも言えるが
自尊心があって自分は物乞いではと受け取らない気位を持つ者も居る、何の役にも立たんプライドだが礼はするが自分なら受け取らんな
>>19
子供の話だから。
この子と同じくらいの歳の頃、子供向けの怖い話で「貧しくて靴を買えないから譲ってくれないか、と言ってくる子供がいる。実はその子供は幽霊で、断ると連れて行かれる」みたいな話見た後に「靴も買えなかったなんて可哀想だし主人公もあげれば良かったのにね」と言ったら友人が「そんな事言ったらもう一個ちょうだいって言われるじゃん」と言ったのを思い出した
今なら友人の言葉の意味が分かるけどよくそんな思い至ったなぁとw
それはさておきこの女の子は純粋な真心で動いたんだろうから男の子も喜んでくれると良いね
>>20
幽霊じゃなくても実際にあることだと思う。大昔に海外文通をしてたら貧困国の人からはあれが欲しいこれが欲しいと毎回何かを要求された。日本は豊かだからみんな金持ちというある種の偏見w一度も送ったことはないけどね!一度の親切で付け込まれクレクレの標的になるのはとても現実的な話だと思う。この女の子や親がその餌食にならないことを祈るわ。
仮にからかってる奴等に「そんな事いうな」って、かばって貰えたとしても自分がこれからもボロボロの靴を履き続ける事に変わりは無いしな…
かばってくれた友達も結局はキレイな靴な訳だし、自分が9歳ならこれはかなり嬉しいと思う!!
でも、例え言ってくれただけにせよ、靴が欲しいまで望めなくてもどういう形であれ自分にも味方になってくれる人がいるんだって思える事が一番嬉しいね。
単に好きだったんでしょ(適当)
靴を受け取った側が発信したならともかく、与えた側の記事だからかな。
「ウチの子は素晴らしい」自慢に利用されたような印象がする。
>>27
それはウチもちょっと感じた。
良い話なんだけどモヤモヤっと
違和感あるのはそのせいかな。
>>27
自慢できる子供でなかった自分が恥ずかしい。
キリスト教世界の「施し」の精神だろ
俺んちも、昔貧乏でさ、似たような状況になったことがあるよ、俺の場合は小学校の上履きだったけどね、もう長い事同じ奴を履いてて、汚くてみすぼらしかった。
みんなにバカにされてたけど、4年の時に一緒のクラスになった女の子に助けてもらってね、その子は靴を買ってくれた訳じゃなくて、自分も同じ上履きを履き続けてくれたんだ。
その子が5年の時に「○○ちゃん、上履き汚いね」って友達に言われた時に「そう?意外に履き易いよ」って答えてくれてね、それから俺に対する風当たりが緩くなった感じがするよ。
その子とは今でも毎朝会うよ、今晩はカレーだってさ。
人生どう転ぶか分からないもんだね。
※30
なんか、感動した。
>>30
なんだよさりげなくノロケやがって
末永くお幸せにな!
>>30
実際履き潰した上履きはとても履きやすいw
人間として当たり前の事だよな。
当たり前に感動するってことは、それほど身の回りから当たり前が遠ざかっている証拠。
これが偉いとか、マセてるとか思う心が既に毒されているのかも。
たった9歳の子が生活するのが精一杯なほど貧乏だって自覚してるのがつらいなと思ってしまう
自分が同じ年齢くらいの時そんなこと思いもしなかった
この少年にはまだこれから先にも苦難が待ち受けてるんだろうけど、靴をプレゼントしてくれた同級生の優しさを忘れないでほしい
>>35
自覚はあっても助けてくれる友人もなく、それでもひもじい思いはさせたくないって新品の服や靴はなかなか買ってもらえなかったけどたらふく食べさせてくれてた親には感謝しかない。
あっという間にサイズオーバーするこども靴ですから即応したのはなによりですね。自分にその力がないのだから持つ人からひきだすのも解決のありかたなのだと贈る側も贈られた側も心に取り入れられればさらになによりですが、この話においてそれもなくたって構わない。
履いていてくれるといいなあ。
俺は結果欲しがりマンなので彼がどうしただろうかとつい気になってしまうのですがそれはまた別のお話ですものね。これでよい。
貧困家庭とズタボロこども靴はわりとセットなものらしく(言われてみりゃあそりゃそうだ)この話題を追うと「Shoes That Fit」なんていう活動にもいきつくわけですけれどなんとも切ない。
三つ子の魂百まで!!!!
この子は将来人を助ける、絶対に守ってやらないとダメだ
女の子は良い子だけどそれをネットにあげる母親は嫌だ
>>40
たしかに奥ゆかしくはないかもしれないけど
それを見た人がこういう親切もありだな!と思ったり
ためらってた手を差しのべたりするかもしれない
見えないところで善行を積むのも美しいことだけど
いわゆるセレブが目立つように寄付やボランティアをしたりするみたいに
善行をあえて恥ずかしがらずに『見せる』のも意味があることだと思う
>>48
そもそも奥ゆかしさ=美徳も日本独特とも言えるしね。善を主張することは当たり前の感覚が向こうは強い印象があるからこういうの事は自然なのかもな。
靴履いたままベットにゴロンしちゃう国だからねぇ〜
そりゃあまりに汚いのは穴あき靴下とか臭い靴下よりもっと最悪だもんねぇ〜
9歳の純粋な行動に対して寄ってたかって社会人目線で粗探しとか最悪だな
心の底から軽蔑する
靴をプレゼントして貰った男の子も、大きくなったら困ってる人に自分が出来る事で何かしてあげられるようになると思う
そうやって思いやりが後々色んなかたちで繋がっていけばいいんだよ
コメ4は間違っていることは書いていない
自分の考えだと、足りていないものを与えるだけでは根本的な解決にはならない
足りないものを手に入れることができるように手助けする、これが「救い」なのだと自分は教わってきた
>>49
あなたの言う根本的解決って?
ただのワガママや贅沢で新品の靴が欲しいって言ってるのなら一理あるけど、靴も買えない家の子がどうやって靴を手に入れよう?
もしこの女の子の家で何か手伝いでもしろと言うのならそれこそ違う気がするし、100%の善意だったからこそ救われ育まれる事もあると思うけどな。
小郡市の親切って、何のことですか?
こういう話のときって、決まって
「完全完璧無欠の行動以外許さない層」が現れるのがねぇ。
相手の優しさの重箱の隅をつついてまで、
行動できない自分の理由、アイデンティティを保ちたくて仕方ないんだね。
そしてどうなったのかな?
ちょっと気になる。
SNSで共有することですべて安っぽいものになってしまうなあ
これが事実だとして子供の思いやりや純粋さは本物だろうけど
この母親の行動ひとつで男の子の親の気持ちとか男の子の気持ちを
考えてしまう いくら手紙の名前を修正したって娘の顔も名前も出してるんじゃ
誰のことかわかるしそれを全世界に発信する意味ってなんなのかね
>>56
ってお前が全世界に発信する意味は?
これに批判してる人って恵まれて生きてきたんだね。親に感謝しなさい。
いろいろ意見あるみたいだけど、おれは素晴らしいと思う
・友達を思いやる心
・行動力
・親を説得するための情熱
・問題発見から解決までやり遂げた責任感
俺なんかいつもいろいろ考えすぎて結局何もできずに後悔するタイプの人間だから、この子の行動は本当に輝いて見えるよ
少年の親にしてみれば、古い靴でしばらく我慢してもらってた息子がある日突然真新しい靴を手に帰ってきたと思ったら、同級生の母親に「ボロ靴でみんなにからかわれていた生活に困窮している同級生の子に靴をプレゼントしてあげた娘と私の心暖まる話」として
その靴の写真付きでSNSで全世界に公開されてて、さらに娘の顔写真も堂々と公開してるからその靴から同級生の息子もいずれ特定されてしまう状況で、色んな意味でショックを受けていることだろう。
いい話なのは少女の少年を思う気持ちの部分だけ。
靴の写真をアップしたり他人のセンシティブな事柄をずけずけと書き連ねるこのシャノンて母親こそ人に対する思いやりが欠如してる。
>>63
どうしようもない程ゆがんでるねあんた
※65
どうしようもない程ぴゅあだねあんた
※63
ここまで人間不信で荒んでるとかわいそうになるわ
(日本の)ネットに毒されちゃってる気もする
なんでどこもかしこもこう息苦しいんだろうな…
>>63
わからないよ。自分の酒代の為に子供の靴なんて気にしない母かもしれないし。
いいことして黙っているのが美徳なのは日本くらいじゃない?ノーブレスオブリージュって言葉があるんだし、持てるものが持てないものを助けるのは義務くらいの意識かもよ。
今回はこれでいいとして、じゃあ次はどうするのかって話になってくるよね
大人はその辺も考えてしまって手が出せなくなるんだと思う
永遠にその子を支援しなければいけないような雰囲気になると困るし、今回のスニーカーがボロになった時にどうするんだろう
次に知らん顔できる? 自分の娘にねだられたらあっさり買い与える?
山田詠美の小説を思い出す
貧しくてご飯もままならない女の子が、「鳥さんの餌にするの」とパンを貰い受けている
転校生は「ああ、この子は貧しくてご飯が食べられないからこうして集めるんだ」と理解し、「君の家の鳥に」とわざわざ言ってパンを差し出す
すると施しを受けた女の子は泣き出してしまう。
今回の女の子の行動は素晴らしくて、「なんとか助けてあげたい」と大人を頼れる心も素晴らしいんだよ。
それを前提として、同級生の親からの施しが屈辱にならないか、そこだけ心配だ。
施しと取って屈辱とするか、純粋な親切と取って、将来自分が同じ様な状況の人を助けるか。
ここのコメ欄”インターネット依存のみみっちい人間”の典型しかいなくてゲンナリする。
自分は何もしないくせに、ボランティアをする人たちを見て、偽善だなんだと騒ぐような人間なんだろうな。
こういうのをネットで紹介してるのがいやって人がコメントにいるけど
その捉え方は日本人ならではなのかもねえ
むしろアメリカでも社会問題になってる低所得家庭の児童に対して関心を向けさせるいい機会だと思うけどね
日本人は困窮者への嫌悪が根底にあると思う。
仏教の因果応報、禅宗の努力(修行)不足、神道の穢れであって助けることは自然に逆らっていると考えるのではないか。
信長公記の山中のサルの話のように、困窮者を糾弾することは前世のカルマを取り除くことにおいてよいとされていたのではないか。
※74
仏教関係ないよ
そもそも因果応報って行いの良し悪し関係なく普段の行為が巡り巡ってやがてそのまま自分に帰ってくるって意味だから
そうじゃなくてぶっちゃけ不景気といつまで立っても改善しない収入格差が一番の問題だと思うよ
低所得は生きるのに精一杯で余裕なんて無いから人の心を荒ませるんだよ
>>74
ンなわけないよ。日本でも昔から徳の高さ人は困窮する人を助けてるよ。光明皇后とか学校で習ってない?
びっくりした
幼い子供が所得格差に出会って自分なりの善を尽くしたって話でしょ?
それを、完璧に持続可能じゃなければ侮辱になるから寄付なんかすべきでないだの
ネットに上げて自己満足のために相手の家族を晒し者にしてるだの
よくポンポン批判的な感想が出てくるよな。
行政や機関の施策じゃあるまいに、友達を救おうと考えて実行した勇気ある子供をまずは褒めようって発想にならないわけ?
ごちゃごちゃとこまけぇことはいいんだよ、
自分がしてもらって嬉しいことを人にする、ってやっただろ。
その結果思ったことと違うようになったら、この子はまたそこから学習するさ。
まずやってみる。その純粋な気持ちと行動力は素直に称賛できることだ。
靴をあげることはいいことだし、その子の足事情は改善しただろう。
でも、からかってる子達は靴をからかっていたわけじゃなくて、弱者をからかっていただけだから、からかわれないという解決にはならない。
からかっている子達がちゃんと人権教育を受けて変わることを望むね。