この画像を大きなサイズで見るフランス、パリを拠点として活動しているフリーの建築家、ジャン・ピエール・ウーダンは、父親と共に、「エジプトのピラミッドはどのようにして造られたのか?」という古代からの謎に挑んだ。
何世紀もの間、様々な仮説が立てられてきた。紀元前450年頃にエジプトを訪れたヘロドトスは、いくつかの”装置”を用いられたものだと推測した。他にも、作業の中心となるスロープ(傾斜路)を造ったという考えもあった。そして未だに地球外生物こそが真の建造者だと(真剣に)思う人もいる。
ウーダンはエジプト学者のボブ・ブライヤーと共に、ピラミッド建造の謎に迫るべく、新理論を打ち立てた。3次元解析ソフトを用い、ピラミッドの構造を多角的に分析。その結果、ピラミッド建造の謎を解く鍵は隠されたスロープにあると推測。ピラミット内部の下の部分に”外に向けたスロープ”をつくり、上の部分にも”ピラミッド内部に設けたスロープ”を用いて作られたのではないかと使って造られた可能性が高いと結論づけた。
ウーダンの研究は特に、紀元前2500年頃に建造されたギザの大ピラミッド、”クフ王のピラミッド”に焦点を絞って行われたものだ。彼はその仮説を3Dアニメーションにするところまでこぎつけた。これがその映像である。
以下はエジプト学者のボブ・ブライヤーが書いた文章である。エジプト建造に関して支持されている2つの理論と、ウーダンが打ち出した新理論について詳しく書かれたものだ。———————————————————————–
「大ピラミッド建造の謎を解く鍵は隠されたスロープにある。」
古くからある世界の7不思議のうち、依然として謎が残るのはギザの大ピラミッドだ。この建造物には平均2.5トンもある石のブロック約2百万個が使われている。完成した当時、481フィート(約147m)の高さだったピラミッドは世界で最も高い建物とされ、わずか44フィート(約13m)上回るリンカン大聖堂がイギリスで造られるまで、その記録は3,800年間破られることがなかった。
大ピラミッドを建造したのは、およそ紀元前2547ー2524年にエジプトを統治したクフ王(ファラオ)であることは有名だ。そしてその工程を監督したのがクフ王の甥、ヘムオン(ヘミウヌ)だったことも知られている。”ファラオの右腕”であり、”王の命じた建造計画を全て指揮”した彼の墓は、ピラミッドに隣接する墓地の中でも最大の大きさだ。
ギザの大ピラミッド
この画像を大きなサイズで見るそしてその墓が”どのように造られたのか”は謎に包まれ、何千年も議論が絶えない状態だ。現存する最古の仮説は紀元前450年エジプトを訪れたギリシャの歴史家、ヘロドトスによるものだが、その時点でこのピラミッドは建造されてから2,000年も経っていた。彼はその石を積み上げるために”複数の装置”が使われたと述べていて、これは一般に”クレーン”を指すものだった。その後300年が過ぎ、シケリアのディオドロスは、”この工事は何かを盛ったり、積み上げてできたスロープを利用した”、と書き記している。また、”原始的なエジプト人達が、誰の手も借りずにこんな途方もない建物を造るなんて絶対無理だ。よその星から来た生物が手伝ったに違いない”という理由から”エイリアン”説を信じるものもいる。
現代の学者らは以下の2つの仮説を支持している。しかしよく検討してみると、そのどちらも正しくないことが分かる。そこで、今回我々は新理論を打ち出した。もしこれが正しければ、”古代エジプト人の建築家と技術者は、今までの現代人の想像をはるかに超えるようなレベルの計画を立てた”という証明になる。
現在支持されている2つの仮説
その1:外部スロープ説
最初の仮説はピラミッドを高くするため、その傍に石積みの為のスロープが一つ造られたというものだ。これならその作業がピラミッドの頂点まで進んでも、石を積んでスロープを高くすれば届く。しかしそのスロープの勾配があまりに急になると、石を引いて運ぶ労働者も登れなくなる。その勾配は最大でおよそ8%が限界で、それがこの”スロープ説”の問題点になる。
もし傾きを緩くしてピラミッドの頂点に届くようにする場合、全長はざっと1マイル(1.6km)になるが、ギザにはそれだけ長いスロープを造る余地は無く、それほど長大なものが造られた跡もみられない。また、その距離ではピラミッド自体と同じ規模の建造物となり、ピラミッドに必要な労働力のほぼ倍量が必要になる。以上ががこの”直線スロープ説”が機能しない理由だ。
この画像を大きなサイズで見るまた、この説には登山道のように、ピラミッドの”外側”にらせん状のスロープを設けるという考えもあった。らせん状であれば距離が異様に長くなることはなく、そういう坂の跡が見つからないことにも説明がつく。しかし、この仮説には欠陥がある。この方法だと、工程が最終段階に入るまでに4つの角の部分を完成させることができない。一方、4つの角が頂上の1点で接するように造るには、その角の状態を頻繁に確認する必要があった。メトロポリタン美術館に勤務していてピラミッドの専門家として名高いディター・アーノルドは、彼の著書”Building in Egypt”の中で、以下のようにコメントしている。”(外にスロープがあると)全ての工程が終了する間、ピラミッドの本体は完全にそのスロープの下に隠されてしまう。すると測量者はその4つの端や角、そして土台の線を計算に入れることができなくなる。”というわけで、”変型スロープ説”にも重大な問題点がある。
その2:クレーン説
2番目の仮説で主となるのは、ヘロドトスが述べていた”複数の装置”だ。最近まで農業を営むエジプト人は、灌漑用にナイル川から揚水するため”シャダーフ”という木造のクレーンのような装置を使っていた。この装置は古代の墓所にも描かれていて、ピラミッドの建造時にも使われたと考えられる。つまり、ピラミッドの色々な位置に置かれた数百基のクレーンが、石のブロックを持ち上げるために使われた、という発想だ。しかし、この仮説で問題になるのは、無数の木材が必要になるということと、単にエジプトには木を調達できる森林が無いという点で、そんなに大量の木材を輸入するのは非現実的な話だ。その当時、造船所を造る時に使われた大きな材木はレバノンから輸入されたもので、それはとても費用がかかる事業計画だった。
この画像を大きなサイズで見るクレーン説のさらに致命的な欠陥は、その数百基のクレーンを全て置く場所なんてどこにも無いという点だ。大ピラミッドに使われた石材の大きさは、上に向かうほど意図的に小さくしてある。私は、かつてその許可が下りた1970年から80年代頃は頂上まで何度も登ったが、頂上付近の石はたった18インチ(約46cm)程度で、人が立てる幅はそれしか無かった。つまり重い石を持ち上げるための大きなクレーンが置けるぐらいの十分な空間などあるはずが無い。クレーン説の場合、大ピラミッドの石がどのように積み上げられたかを説明することはできない。
新しい仮説:内部スロープ説
そこで今回フランスの建築家、ジャン・ピエール・ウーダンが導き出した理論が「内部スロープ説」だ。彼はこの7年間を大ピラミッドの詳細なコンピュータ•モデル作成に費やした。そしてフランスのソフトウェア会社、Dassault Systemesが開発した最新型3-Dソフトを使用し、エンジニアである彼の父親の最初の提案と組み合わせることで結論を導き出した。”スロープ”は確かに石材を頂上へ積み上げるために使われたが、その”スロープ”は”ピラミッド内部に存在する”というものだ。
内部スロープ説
この仮説はピラミッドを横に3分割して考えている。まず一番下、下から3分の1までは、外部スロープで石がまっすぐに運ばれた。またその長さは、前述の”直線スロープ”説のように頂上を目指すタイプよりはずっと短かく、石灰岩を切り出した石のブロックが積まれたもので、その石の大きさはその下部3分の1に積まれた石のサイズより少し小さかった。なお、その下3分1のピラミッドを建造する工程の中で、それ自体が外部スロープを経由して造られたのと同様に、その”内部”に次のスロープが造られた。
そして次の段階、ピラミッドの3分の2を建造するための石材は、トンネル状の内部スロープを経由して運ばれて、やはり次の内部スロープを設けながら積まれていった。ウーダンによると、ピラミッド下部にある内部スロープの入口は幅約6フィート(約1.8m)あり、その勾配は約7%だという。またその上部内側のスロープを造るための石材には、ピラミッドの下3分の1完成後、役目を終えた外部スロープが解体され、元のブロックに戻った石達が再利用された。
内部スロープは、ピラミッドの内装の設計を優先する形で計画された。それはヘムオンが彼自身の祖父であり、クフ王の父親だったスネフェル王が直面した問題点を知っていたためだった。スネフェルは王である自身の墓所にふさわしいピラミッドを建造するのにかなり苦労して、結局ギザの西側に3つもピラミッドを建ててしまった。
メイドゥームのピラミッド
この画像を大きなサイズで見る最初にメイドゥームに建てたものは構造上の欠陥があり、使用されなかった。2回目はダハシュールに建てたもので、これは”屈折ピラミッド”として有名だ。このような形に仕上がったのは、石室の壁の中に亀裂が生じたため、途中からピラミッド側面の勾配を変えたせいだ。そしてピラミッドが内側に向けて崩れるのを防ぐため、レバノンから入手した巨大なマツの木材をくさびにして、壁と壁の間に固定する必要があったが、結局これも放棄された。スネフェルの3番目の挑戦でもあった独特な赤い色をしたダハシュールのピラミッドを、年老いた支配者が亡くなる前に完璧に仕上げることは、半狂乱になるぐらい切実な急務だったに違いない。
この画像を大きなサイズで見るまず初めに、ヘムオンはクフ王が死亡した場合に備え、3つの玄室が確実に入るように計画を立てた。そして手始めに行われた作業はピラミッドの真下の基礎部分を形にすることだった。そして王が早く亡くなった場合、これが墓所になる予定だった。しかし約5年後もクフ王は元気に生きていたので、地下の未完成の石室は放置され、一般的には”女王の間”と呼ばれる二つ目の石室造りに着手した。そしてその作業がおよそ15年目を迎えてもクフ王は健在だったため、この石室も未完成のまま放棄されて”王の間”、つまり最後の石室がさらに高所のピラミッド中心に造られた。(現在まで、クフの石棺は”王の間”の内部にそのままあり、”女王の間”という名称があるのは昔の探検隊が誤って二番目の石室が彼の王妃のものだと勘違いしたためだ。)
”女王の間”と”王の間”の屋根の梁などには、巨大な花崗岩と石灰岩のブロックが必要だった。これらの梁の中には重量が60トンを超える石もあり、内部スロープを通って運搬するにはあまりにも大きすぎた。そのため、そのような大きな石を引きずり上げるまでの間、外部スロープが使われた。それが終わると、外部スロープは分解され、その石は内部スロープを通じてピラミッドの3分の2にあたる部分に再利用された。この部分に組まれた石の大半が、下の3分の1部分を構成している石の大きさより小さいのは、狭い内部スロープを通らなければならなかったためだろう。
この画像を大きなサイズで見る内部スロープの設計にはいくつかの点が考慮されていた。第一に、それは玄室やそれに通じる内部スロープのトンネルにぶつからないような、非常に正確な形でなければならなかった。第二に、重い石材を引きずりながら狭いスロープを登る作業をする人々にとって、90度の角を曲がるのは困難だった。なぜなら彼等は石のブロックの前に立ち、引いていく必要があったからだ。つまり内部スロープの角にはそのための設備が必要になる。そのためスロープには開口部があり、そこに石材の向きを変えるために使われる簡単なクレーンがあったはずだ、とウーダンは推測する。
大ピラミッドの建造方法について、これまでの決め手に欠ける数多くの仮説と、ウーダンが提唱する内部スロープ説は一線を画している理由は、以下の裏付けがあるからだ。
石材の方向転換に使われた内部スロープの角のくぼみのひとつに、わずかながらその証拠がある。それはピラミッドの高さ3分の2の辺りの北東の角で、まさしくウーダンが予言した数カ所のうちの一つだった。さらに1986年にこのピラミッドを調査したフランスのチームの一員が、一匹の砂漠キツネがそのくぼみの横にある穴に入っていったという報告をしていたことがわかった。その近辺には空間があり、それこそが内部スロープなのだろう。
キツネがピラミッドの半分以上の高さまで自力で登ったと考えるのは無理がある。そこには下に向かう未知の狭い隙間がいくつかあり、キツネはそのスロープに入り込み、トンネルをたどって上に登って、くぼみのそばに出てきた、と考えるほうがもっと現実的だ。キツネに遠隔測定器や発信器を取り付けて、穴に入る動きをモニターしてみれば面白いことになっただろう。そのくぼみは手がかりともいえるが、さらに説得力があるのは、その調査チームが報告した別の証拠だ。
フランスのチームは、調査の際、異なる区画ごとの密度を計測できる精密重力計を使った。それにより隠れた空間の存在が明らかになった。彼等はその内部はさほど広くはないと判断し、詳しい調査はしなかったそうだが、もしかしたらそこにスロープがあった可能性は高い。もう少し詳しく調べるべきだったろう。
2000年、ウーダンはこの仮説を1986年のフランス調査チームのメンバーの1人が出席した、とある科学会議に提出た。そのメンバーはウーダンに、”その調査の内容をコンピュータ解析したら、不思議な画像が得られたのだが、解釈不能だったので気にも留めなかった”、と語ったという。その画像はウーダンの仮説が予言していたものを正確に表していた。渦を巻きながらピラミッドを通って上に向かうスロープだ。
この画像を大きなサイズで見る他の仮説とは違って、内部スロープ説には重要な裏付けがある。ウーダンとカイロにあるドイツ考古学研究所の元所長であり、ピラミッドの著名な権威であるレインナー・シュターデルマンが率いる調査チームは、その仮説が立証された場合に備え、大ピラミッドの内部の非破壊調査をする申請を提出してある。
彼等は考古最高評議会が調査の許可を与えてくれることを期待している。(調査では強力な精密重力計や高解像度の赤外線写真、もしくは超音波探知機を含む、いくつかの方法が使われるだろう)。もしそうなれば、ついにクフ王の歴史的な墓の建造方法が分かるかもしれない。そして本当にそれが存在しているなら、いつの日かその大ピラミッドの外側の石を数個を取り除いて、ヘムオンが内部に密かに残したスロープを登ることも可能なのかもしれない。
via:How to Build a Pyramid – Archaeology Magazine Archive
原文翻訳:R
















すげー(OДO;)
どこでこんな方法考えたんだろ?
まだ未発見の空間もあるらしいし
とにかく古代エジプト人すごい!!
やっぱ宇宙人説もあながちホラではないのでわ?
知識を教えて作らせたとか(^▽^;)
ギザ興味津々♪
じぁギザのピラミッドそっくり作ってみてよー
絶対に作れないからw
今でこそ段々になっちゃってるけど、盗賊に盗まれる前は表面がつるつるの大理石で真っ白な見た目だったんでしょ?
その姿をみてみたかったなー。
発想は凄いしかなり興味深い仮説だけど……、多分調査の許可はおりないだろうなぁ。
以前どこかの調査隊がピラミッド内で無許可の破壊調査やってから、相当ぴりぴりしてるって話だし。
そういえば、これだけの巨大建造物だと、内部の空間も正対称じゃないと崩壊する(だから、未発見の空間が存在する)って言う話があったけど、実際はどうなんだろうかねぇ。
3行で
高さは負けるが、面積では日本の古墳が世界一なのは世界の常識。
あれだな、ほら、たぶんだけど、ピラミッド作るためにアフリカの木を使い果たした為に
砂漠になったんだな・・・たぶん・・・
現在まで建築技術が残されていないのが謎なんだよな・・・
と言っても、今でもちょっと昔の建築技術さえも失われつつあるわけだけど
たとえば合掌造りの家とか、もうしばらくしたら、これはどうやって作ったんだろうかということになると思う。
そんな感じで当時の技術が失われても不思議ではない。
すげぇwwwwww
歴史が変わるぞ!!!
まあ実際は歴史にようやく追いつくってのが正確かもしれないけど。
しかしすげぇなあ。こんな大胆な仮説が4500年経ってよいやく出てくるなんてなあ
100年後にはまた違う定説になってるんだろうね
作った人たちにすれば、どんな技術を使ったか
未来の人間が知りたがるなんて、まさか夢にも思わなかったわけだ
何千年後も伝えるべきは、王の偉大さだけだと
現代人が見て偉大だと感じるのは、王ではなく作った人たちなんだけどね
クフ王が作らせたのは大ピラミッドの横のチッコイ3基の方だろ
これ何年か前にテレビでやっていた説じゃない。
全部人力だったわけだから、それなりの人口が居てこそ出来る事だと思う。
しかし、すごいピラミッド頭頂部の設置方法は特に納得が行きました。
このような技術とか数十年でロスト技術になり誰も創れなく可能性があるワニよ
ワニ家は代々何百年も琉球ワニが、曽祖父から琉球のデカイ石墓創り棟梁しており
何百キロもある石担ぎ、施工し技術を屈指て積み建ててるワニがね、ワニさんが昔
大腸癌68で逝ったオヤジから聞いた話しによると、砂など詰めて重い石など積み上げたとか
言ってたワニが詳しい事はしらんワニ、オヤジは三十路なっても爺が担ぐ石の半分も担げず
敗戦後は酒屋などやってたワニからね、爺はワニさんが幼い頃一緒に暮らしてたワニが
80歳歩けなくなるまで現場出て陣頭指揮してたワニ。
いっつもワニワニいってる変な人はいったいなんなのパルモたん
セメント固めた人工石だって結論出てただろう
今更だな
この謎が解明されるまでは、いつまでたっても巨大オーパーツのままだな
超古代文明が重機で作ったらしいよ
間違えた。 ちゃんとこっちに書かないと・・・
石運びは作業員たちの体重を上手く使えば、頑張って力仕事をさせなくても、割と簡単に全部の石を積み上げられた、っていう超ド級の新説もこの日本から出て来た。
うつぎれい「大ピラミッドを建造するいちばん簡単な方法」ウーダン説の更なる拡張
ttp://www.geocities.jp/netreal_bookbox/utzugi/OpenLetters_014.htm