この画像を大きなサイズで見る2020年3月11日、WHOが新型コロナウイルスのパンデミックを宣言した。以来、世界中の人々の生活が急速に変化している。
国によっては都市閉鎖や外出禁止令が出され、日本でも都市部では不要不急の外出自粛要請が出ており、家の中にいることが推奨されている。
今のご時世、インターネットもあるし時間つぶしに最適な娯楽はいくつもある。だが、かつての歴史的なパンデミックにおいてはやることも限られていただろう。
そんな中、社会から隔絶された苦難の時間を生産的で有益なことに費やした偉人たちがいた。危機的なパンデミックの中にあって、有意義な活動を行っていた思想家や芸術家の例を見てみることにしよう。
1. ウィリアム・シェークスピア
この画像を大きなサイズで見る「ウィリアム・シェークスピアは、隔離状態の中で『リア王』を書いた」というのは、半分誇張された話だが、これは真実に基づいている。
17世紀始め、腺ペストが大流行して、ロンドンじゅうの舞台が閉鎖されたとき、シェークスピアは俳優であり、キングズメン劇団一座の出資者だった。
疫病発生後、数週間たって死者の数が30人を超えたら、公共劇場は閉鎖しなければならないということになっていた。1606年、再びペストが町を襲ったとき、この年はほとんど演劇業界は麻痺状態だった。
突然、安定した仕事がなくなり、ありあまる時間ができたシェークスピアは、書くことに専念した。『リア王』、『マクベス』、『アントニーとクレオパトラ』が、その年が終わるまでに完成したという。
2. アイザック・ニュートン
この画像を大きなサイズで見るシェークスピアがひきこもり中に有名な戯曲を何作か書いた数十年後、今度はアイザック・ニュートンが、イギリスで伝染病から身を守らなくてはならなくなっていた。
1665年、ニュートンが20代前半だった頃、最後の腺ペスト大流行がイギリスを襲った。ケンブリッジ大学の講義もキャンセルされ、ニュートンは、およそ100キロ近く離れた故郷に引きこもって、そこで研究を続けた。
教授から横やりを入れられる心配もなく、この若い数学者は自由な隔離時間を有効に使って優れた研究を行った。寝室でプリズムで遊びながら、初期の微積分となる論文を書き、光学に関する自分の理論を発展させた。
このときがまさに、あの有名な万有引力論が芽生えたときだったのだ。リンゴがニュートンの頭を直撃した事実はなかったようだが、彼の部屋の窓の外に、ひらめきを刺激したかもしれないリンゴの木があったのだという。
3. エドヴァルド・ムンク
この画像を大きなサイズで見る『叫び』の作者エドヴァルド・ムンクは、スペイン風邪の大流行が自分のまわりの世界を変えてしまうのを目の当たりにしたわけではなかった。
1919年の始めごろ、ノルウェーに住んでいたムンク自身が、感染してしまったのだ。しかし、ほかの多くの患者とは違って、ムンクは生き、傑作を生み出し続けた。描くことができる体力があると感じたとたん、すぐにムンクは画材をかき集めて、自分の肉体の状態を観察し始めた。
『スペインかぜをひいた自画像』は、病床の前に座っている、髪が薄くやせ衰えたムンク本人を描いている。
4. トマス・ナッシュ
この画像を大きなサイズで見るウィリアム・シェークスピアと同時代のエリザベス朝時代に有名になった劇作家。1592年に腺ペストがロンドンを襲ったとき、ナッシュは感染を避けて、田舎のほうへ逃げた。この時期に、パンデミックの中を生きた自分の経験を綴った『夏の遺言状』を書いた。
さらば、地上の至福よ、
この世界は不確実なものになってしまった。
淫らなほど喜びに満ちた生活が気に入っていたのに、
死の前にあっては、それらすべてがつまらないものにすぎないことが
はっきりした。
病のあまりに急な広まりからは、なにものも逃れられない。
わたしは病気だ、いずれ死ぬに違いない。
神よ、どうかお慈悲を。
5. ジョバンニ・ボッカチオ
この画像を大きなサイズで見るフィレンツェの作家で詩人のジョバンニ・ボッカチオは、腺ペストの影響をもろに受けた。1348年、この疫病がフィレンツェを襲い、ボッカチオの父親と継母が死んだ。
町を逃げ出し、トスカーナの田舎に身を潜めて、ボッカチオは生き延びた。この間、病を避けて別荘に引きこもった友人グループが互いに披露しあった話をまとめた『デカメロン』を執筆した。
References:People Who Were Productive in Quarantine | Mental Floss/ written by konohazuku / edited by parumo
















抑圧されると、その鬱憤を別の活動で晴らすのはよくある
ミュージシャンがネットで居酒屋にいる人の批判をしてるのも、やはりインドアで何かできる人だからだと思った。
あ~あデカメロンわっお~恋物語~♪
なんて歌ってた青年の一人が、今じゃ大岡越前守ですよ、しかもなかなか良い演技してるんだな、これが。
ムンクの「俺まだ描けるやん」はいいエピソードだ
昔から
用も無いのに出掛けて問題起こすのは
必ず馬鹿という相場が決まっている
自分も何か研究しようかな。
矢っ張り人間、ジックリ物を考える時間って必要だなと思った
余裕の有る生活送ってないと一人の人生どころか社会そのものが停滞する
パンデミックの恐怖に晒される中でリア王だのマクベスだの観たら悲観のあまり頭おかしくなりそう
田舎に逃げた人がいるけど、保菌者が逃げてきたため疫病が流行しちゃった地域もあったらしいね…
現代も変わらない
ひげを抜いて並べてみるとかね、
何世紀も前から疫病に関する人類の行動って同じなのね。
感染が爆発した時に、東京から地方に脱出する人々がいるのは理解できる。そして地方の人間が、その東京者たちを嫌がるのも理解できる。疎開先が田舎なら隔離されているようなものだからいいだろう、地方都市に疎開して、そこでもし感染者が出たら、もの凄く面倒な話になるだろうな。 静かに進行してゆく修羅の世界。
パンデミックがあったからこそ生み出されたかもしれない
至高の芸術や研究があったのか、フクザツ~。
自分も何か創造的な事をやろう。そう、後悔のないように。
google翻訳使って海外映画のセリフを言ってみたら
まぁ酷すぎてワロタ
失うものあれば得るものもある
効率的な人生とは一点集中だね
あー、収入に結びつく才能が欲しい