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住民たちが隔離病院に火を放つ。19世紀のアメリカ、ニューヨークで勃発したスタテン島検疫戦争

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image by:The Collection of the Staten Island Museum

 時は19世紀、9月のある夜、ニューヨーク州ニューヨーク市に属するスタテン島(スタテンアイランド)にある病院施設から巨大な炎があがり、星空に向かって火花が渦巻いた。

 これは、ある意味、アメリカの初期の医療政策が大炎上した結果と言えるだろう。

 スタテン島には、壁に囲まれた20あまりの感染病患者の隔離病院施設がある。ニューヨークを訪れる船は一旦この島に停められ、乗客たちの検疫を行い、感染が確認された場合、隔離病院に収容される。

 陰性が確認されるまでこの島に閉じ込められることになるのだが、暴徒化した住民たちが、ニューヨーク海事病院に火を放ったのだ。

感染病を持ち込む移民を隔離する病院施設のある島

 この隔離病院は、天然痘、コレラ、チフス、黄熱病などの感染病を持ち込む移民から、ニューヨークを守るための最初の防衛線だった。

 検疫官は、湾内で船を停めて検疫を行い、乗客や乗員に感染者を見つけると、黄色の旗で合図。船内の全員をこの病院に送って、陰性だとわかるまで隔離した。

 病院は一度に1500人を収容することができたという。

 一等船室の客は、隔離病院の中でも高級なセント・ニコラウス病院に収容された。一方で、三等船室の客は、悪臭のする掘っ立て小屋のような施設に押し込められ、裸にされて湯を浴びせられて”消毒”された。

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ニューヨークのスタテン島にある海事病院と検疫地の眺め

image credit:Library of Congress/wikimedia commons

スタテン島に疫病が広がる

 スタテン島にもともと住んでいた住民たちは、この隔離病棟を目の敵にしていた。

 というのも、この隔離病院は、1799年にニューヨーク州が収用権(所有者の承諾なしに公益のために収用する権利)を行使して建設したもので、住民にとっては無理やり押しつけられたような形になっていたからだ。

 1850年のリッチモンド(スタテン島の旧称)は、人口1万5000人、カキ養殖業者や農夫のにぎわう町だった。

 およそ8キロ離れたマンハッタンには50万人が住んでいて、新たにやってきた感染移民と住民が接触したら、悲惨な結果になることは、役人たちにはわかっていた。

 1898年にニューヨーク市と合併される数十年前には、スタテン島の住民たちは、この招かれざる不法居住者たちと隣合わせに住むことを余儀なくされていた。

 住民は、感染した移民が町に病気を持ち込むことに怒り、隔離病院から近くの共同墓地に遺体が運ばれてくるとパニックになった。定期的に伝染病が発生し、1848年の黄熱病の大流行のときは30人が死んだ。

 1850年代には、ドイツやアイルランドからの移民の波が爆発的に増え、アメリカの多くの港湾都市で伝染病が大流行した。1853年にはニューオリンズで黄熱病の死者が8000人、その2年後には、バージニア州ノーフォークでは3000人以上が死んだ。

 1856年、黄熱病の流行によってスタテン島で11人が死んだとき、住民たちの堪忍袋の緒が切れたようだ。

 「1848年の死者が、墓から語りかけてくる。彼らを忘れるつもりなのか?」Staaten Islander紙は書いている。

 1857年、ついに州は隔離病院をもっと南のセジーン・ポイントに移転するすることに同意したが、建設半ばで建物が放火され崩壊したのだ。

だが、この火事は前触れにすぎなかった。

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1858年、新聞にとりあげられた隔離病院

image credit:The Collection of the Staten Island Museum

地元の衛生局も住民たちの抗議行動を推奨

 1858年8月、住民は隔離病院の近くに藁や木材、可燃物を積み上げ始めた。9月1日、地元の衛生局がこの病院についての会議をひらき、近隣住民に死と荒廃をもたらす、有害で厄介な忌まわしいこの隔離病院に対して、法的措置をとることができる決議を承認した。

 「役員会は、ここの住民の皆さんが、この厄介な困りものをただちに鎮圧して、自衛することを断固として推奨します」

 この決議は、隔離病院の壁にも貼られた。

 夜9時、30人の男たちのグループが、現場に集まった。リーダーは、近くで雑貨店を営むジョン・トンプソンと、裕福な地主のレイ・トンプキンズ。トンプキンズの祖父ダニエルは、ジェームズ・モンロー大統領のもとで副大統領を務めた人物で、ニューヨーク州の4番目の知事だった。

 男たちは、セント・ニコラウス病院を含めた隔離病院の建物の要所要所に、藁が詰まった病院のマットレスを積み上げた。

 隔離病院の管理者、ドクター・リチャード・トンプソンは、暴徒たちに訴え、婦人病棟は襲わないことを同意させた。

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検疫所に対する攻撃、1858年9月1日

image credit:wikimedia commons

火が放たれた隔離施設

 火事が起こった夜、60人の患者が現場にいた、これは、行政がなにが起こるかを気がついていた証拠だった。この患者たちが婦人病棟に移されてから、暴徒たちが松明をかかげて病院に火をかけたのだ。

 3つの消防隊が現場に急行したが、消火ホースが切断されてしまっていて、なす術もなく見守るしかなかった。ボートで到着した港湾警察の部隊は、少年たちに石を投げつけられて追い払われた。対岸の市警察は、警報に応えもしなかった。

 新聞は、この事件を「スタテン島検疫戦争」と呼んだ。「キリスト教社会であると公言している共同体で引き起こされた、もっとも極悪非道で野蛮な仕打ち」だと言う新聞もあった。

 事実、これはまるで一方的な焼き討ちだった。病院を消滅させるための公然の密約の結果だったのだ。火災の翌日の夜、襲撃者たちは再び現場に戻って来て、今度は女性病棟やまだ残っていた建物にも火をつけたのだ。

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炎上する隔離病院。死者は出なかった

image credit:The Collection of the Staten Island Museum

放火の首謀者は無罪に

 幸いにも火事で死んだ者はひとりもいなかったが、首謀者のトンプソンとトンプキンズは、2週間後に放火の罪で裁判にかけられた。

 弁護側は、事件を隔離病院に対する住民投票にすり替え、自衛の道徳律を主張して、被告たちは”迫りくる危険を取り除き、撲滅しようとしただけ”だと主張した。

 裁判官のヘンリー・メトカーフは、被告ふたりを無罪にしたが、これは驚くことではなかった。メトカーフ自身が隔離病院の近くに住んでいて、身内が黄熱病にかかった後ずっと、公然と病院の存在に反対していたのだ。

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病院が焼け落ちた当初、スタテン島はまだニューヨーク市の一部だとは考えられていなかった

image credit:wikimedia commons
 裁判の後、隔離病院はもっと沖の浮島に移転された。1866年には、スタテン島のサウスビーチ沖にある人工島、スウィンバーン島ホフマン島のふたつに分割され、さらに数十年後には、マンハッタンのエリス島へ移転された。

References:Staten Island Quarantine War / nydailynews/ written by konohazuku / edited by parumo

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この記事へのコメント 16件

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  1. 当時の医療では
    防疫の為には仕方ない側面もあるけど
    金持ちかどうかで待遇に差があるのは
    許せない

    • +2
    1. >>4
      それは皆保険のおかげで日本は突出して高い医療の恩恵をみんなが受けられる稀有な国だからだよ
      他の国なら一般家庭じゃ盲腸の手術ですら死活問題になりかねない金額の医療費が必要になる

      • +7
    2. ※4
      当時の船は料理や皿でも差があり、特に皿は窃盗されることを想定し
      3等客室用は皿に船名が記載されてた
      そんな状態なので待遇に差があっても不思議でないし、今以上に
      船代に差もあったので仕方ないぜ

      • +4
    3. ※4
      医療というか、

      >湾内で船を停めて検疫を行い、乗客や乗員に感染者を見つけると
      >船内の全員をこの病院に送って、陰性だとわかるまで隔離

      これって、船内から1人でも感染者が見つかったら
      他の無関係な乗り合わせ客もお付き合いで一定期間留め置き、
      ってだけだよね?(今のコロナ対策でもそうだが)

      だったら、「医療」ではなくて
      単に「宿泊場所が船室から陸上に移った」だけで、
      一等客室は一等宿泊施設、三等客は三等宿泊施設に
      運賃の待遇をそのまんまスライドした形なだけかと思うが。
      劣悪な掘っ立て小屋なのは、当時の三等船室にしても
      まぁそんな感じだったんじゃないかと。

      …ただ、劣悪な収容施設に入ったら、
      当初は感染者じゃなかった客まで蔓延しそうではあるが…。
      周辺住民にも伝染拡大していったぐらいだし。

      • 評価
    4. ※4
      タイタニック号沈没の際、特等や一等あたりの乗客は甲板に上がれて→救命ボートで逃げ出せた人もいたけど(それでもボートが足りなかったけど)、三等船室の客(移民や労働者とか)は甲板に上がるどころかゲートに鍵をかけられてまあ見殺しになったみたいなの読んだことあるけど、そういうのと一緒じゃない?
      料金と待遇と階級はそこそこ同列だよ
      医療だからって「万人に平等に与えられるのが当たり前」っていうのは(現在まででは)まだないよ、国民皆保険が建前の日本でだって追加料金や出せるお金の上限で待遇や医療内容が大分違うよ
      でもあなたの考え方はいいなと思う

      • 評価
  2. 元からもっと離れた場所に建設していれば、こんな事件も犠牲になってきた住民も
    いなかったのに、なんでここに建てたんだろうね・・・。

    • +13
    1. >>6
      最初から無人島でやれば‥‥
      インフラ整備の金と時間をケチッたのかな

      • +2
  3. 上から下までグルで死者が一人も出ない紳士的といっていい焼き討ちときたら、これは中央と地方行政府の争いだったのかな。

    • +8
  4. 自由の女神を観光するフェリーはエリス島にも立ち寄る。
    そこには移民博物館があるんだけど、その中から見える自由の女神はいっそう蒼く見えたのを覚えてる。

    • +5
  5. ザ・フォッグっていう映画があったが、実話にヒントを得たフィクションだったんだな。

    • +4
  6. 隔離不十分の検疫施設の命運かな。
    周辺地域に広がっているのにそのまま受け入れるのは現代でも難しいと思う。

    • +3
  7. 大義名分を掲げてもシワ寄せを食らうのは地元だけであり自治を勝ち取る戦いだな

    • 評価
    1. >>16
      戦後レジュームからの脱却だね
      日本が日本として
      日本人が日本人として
      先祖にも子々孫々にも胸を張れる様に
      だから
      止めないっ!

      • 評価
  8. 治療法のない感染症に対して人は未だに無力だ。

    • +1

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