この画像を大きなサイズで見る人生は何が起こるか先のことはわからないものだ。自分の過去について思いを巡らせた時、「もしあの事が起こらなければ」、「あの時違う決断をしていれば」などと考えてしまうこともあるだろう。
そんな時、影響を受ける人生の別の部分については、思いもしないものだ。不運な出来事が起こった結果それが幸運に変わったり、幸運だと思った出来事が不幸の結果になったりと、運というのは信じられないほど変化し、それが人に与える影響も大きい。
ここに、「ノヴァの効果」と題される一編のショートアニメーションがある。
エリックという男性が、ノヴァという飼い犬を見失ったところから始まるこの物語は、人生思い通りにはいかず、先に何が起こるかわからない中での、相互に訪れる運のランダム性が特徴となっている。
それでは早速、その物語を見てみよう。
飼い犬ノヴァを失ったエリック
ある日、エリックは飼い犬ノヴァにリーシュを繋いで散歩していたが、突然ノヴァがウサギを見つけると、走って追いかけて行ってしまった。
この画像を大きなサイズで見る手からリーシュから離れたエリックは、不運にもノヴァを見失ってしまい、数日、数週間とあらゆる手を尽くして捜したものの、見つけることができなかった。
深い悲しみに沈んだエリック。「ノヴァのリーシュが手から離れなければこんな事態にはならなかった」「ウサギが現れなければノヴァは追いかけなかったのに」と、不運の重なりを嘆いた。
ノヴァを連れ戻した女性との出会いで運が変化
しかし、ある日ノヴァがエリックのもとに戻ってきた。
この画像を大きなサイズで見るノヴァを見つけたのはヴァネッサという女性だった。エリックとヴァネッサはすっかり意気投合し、深い交際に発展した。
この画像を大きなサイズで見るエリックは「ノヴァを見つけてくれたヴァネッサという女性が現れたのは、なんていいタイミングなんだ」と、エリックは幸運に感謝し、ノヴァを失った時の不運が変化したことを感じた。
交通事故に遭った結果の不運と幸運
ヴァネッサと交際して数か月後、エリックは彼女を迎えに行くために車を走らせていた。しかし、赤信号を無視して走って来たドライバーに衝突され、車は激しくスピン。
この画像を大きなサイズで見るエリックは事故の衝撃を受け、意識不明状態で病院へと搬送された。
その後、病院の医師から「頭部に深刻な外傷がある。脳に永久的なダメージが残らないか検査をする」と告げられ、CT検査をしたエリック。
この画像を大きなサイズで見るその結果、医師は良いニュースと悪いニュースの2つがあることをエリックに告げた。
悪いニュースは、エリックの頭部に小さな腫瘍が発見されたことだ。しかし、それは事故が原因ではなく、事故後のCT検査で偶然判明したことだった。
この画像を大きなサイズで見るしかも、かなりの早期だったことから、切除手術を行えば命に別条がないこと、通常この腫瘍はほとんど手遅れになるまで気付かないものであることを良いニュースとして、医師はエリックに伝えた。
エリックは、交通事故後自分の不運を悲んでいた。「もしかしたらこの事故のせいで人生が台無しになるかもしれない」と恐怖に慄き、不幸な経験を嘆いていた。
しかし、発見された腫瘍は事故がなければわからなかったことである。もしかしたらそのまま気付かず、末期になって発見となっていたかもしれない。それを考えるとまさに不幸中の幸いだが、その奇妙さにはやはり困惑してしまったようだ。
その後、腫瘍摘出手術を受けたエリック。手術は、無事成功に終わったというところでこの物語は終わっている。
運は信じられないほどのランダム性に富んでいる
犬を見失ったことから始まり、恋人との出会い、交通事故、治療可能な腫瘍発見とエリックの人生には、劇的な不運と幸運が交錯する変化が次から次へと訪れた。
この物語が伝えているのは、運というのは信じられないほどランダム性に富んでいるということ。
この画像を大きなサイズで見るこのテーゼ(命題)は、アラン・ワッツ哲学に非常に似ているという。彼は、将来が完全に実現するまで、状況の結果が良いか悪いかを判断することは不可能だと述べている。
人生塞翁が馬。人の一生は思った通りには行かず、まして先には何が起こるかわからないのだ。人生に幸運や不運が訪れても、それをどう受け止めるか、良いことと悪いことはまさに考え方次第で変わるものなのである。
※追記:2019/08/23に投稿した記事を再送してお届けします。
References:Neatoramaなど / written by Scarlet / edited by parumo
















わかってはいるんだけど
わかってはいるんだが
>>1
これって何にでも言えることだよ。
いじめっ子は大人になって裁きを受けるわけでもないし、自分は善行を積んでるからって報われる訳じゃない。
因果応報なんてないんだなって。
>>9
考え方で幸不幸が決まるのであれば、果応報が有るかもってずっと考えて生きていくのはかなりの負担になると思う。
※9
因果応報という概念は、自分に用いるか、他人に用いるかで
意味が逆転する。
自分に用い、いつでも正しくあるようにすれば、それは素晴らしい指標になるが、
他人に用い、悪人が呪われることを願うように用いるなら、
それは結局の所、他人の不幸を願うだけの受身的で非生産的な行動となる。
>>9
因果応報を信じた方が思いやりや忍耐強くなれると思うが。
人生の損得は人に言うことなんて一部で実際どうなのかなんて分からない。
人生長いんだから短いスパンでの損得に気をとられ過ぎない方がいい気がするぞ。
>>9
私は今20歳で、中学3年生で14歳の時に本当に酷い裏切りを経験しました。
それから人を信じられなくなり、不登校→15歳の時に完全に家からも出られなくなりました。
精神的にボロボロで動けなくなり、体調も悪くなりました。
5年以上経った今でも健康状態は良くならず、これからの人生がどうなるのか不安で毎日泣いています。
でもこんなに辛い経験をしたから引きこもりになってしまった人、病気の人の苦しみを理解出来ました!
人一倍強く、人一倍優しくなれました!
もしいつか外に出られるようになったら~、公園に行きたいな~、散歩したいな~、おじいちゃんとおばあちゃんとおじちゃんに会いたいな~って毎日考えてます!
運で百を得るより
自力で十を得るほうがいい
※2下手に運で100手に入れるとこの先も運を頼りそう。自力で10手に入れたら、次は自力で20か30を手に入れる努力をする気がする。
先々を考えれば自力で手に入れる方が身になると思う。
あの日あの時あの場所で
※3
君と出会わなかったら。
考え方次第とは言うけれど、悪いことがきっかけに良い事が起こらなければ悪いことは悪いままだろう
運がランダム性に富んでいるからこそ、ノヴァを連れ帰ってくれるヴァネッサは現れないし、腫瘍は見過ごされる
「悪いことがあった分良いこともある」だけででなく「良い事しか起こらない人生」もあれば「悪い事続きで終わる人生もある」「良い事があってもそれをきっかけにトンデモナイ悪いことも起こる」これが真のランダム性だ
人間万事~もアラン・ワッツ哲学も「時間的な瞬間点では判断できない」ということであって「考え方次第」って事じゃない
「次に何が起こるかは常にわからない」って事なんだ
※4
>「良い事があってもそれをきっかけにトンデモナイ悪いことも起こる」
記事の内容を見る限り、これが「逆ノヴァの効果」よね。
ノヴァの効果は、人生のランダム性を説いているのではなく、
人生のランダム性の中にポジティブなつながりを見つける姿勢を説いているのだろう。
人生万事じゃなくて、人間万事なんだが…ジンカンって読んでればこういう間違いはしないのにね
>>5
どっちでもいいみたいだぜっ!
どの時点で喜んでいいんだろうね
人に対しては考えようによっては良い面もあるよねって言えるのに自分のこととなるともう全部不幸に見えてくる
運が悪いと思えることをポジティブに捉えられる能力がほしい。
幸運と不運は、人生が終わった時、だいたい同じくらいの割合になるようになってますよ。
※10 だったらいいね、誰にも証明できないけど
幸も不幸も死んでしまったら確定なのかも不明(死後の世界がなければ確定)、その幸不幸も人によって感じ方捉え方が違う
>>10
そうはいかない
いじめられっ子や不幸な生い立ちの人に宝くじが当たって億万長者になれたり素晴らしい配偶者を得られる確率が高い訳ではないし、宝くじが当たった人がとんでもない天災や交通事故に巻き込まれたりするわけでもない
正負の法則は分かるけど、当てはまるボリュームゾーンの人がいるってだけで、全員がそうじゃない
※10
災害で家族を失ったり、幼いうちに快楽犯に殺されてしまったりする被害者たちがいる以上、自分はそんな事は言えない。恐らくその対極にいる人たちもいるんだろう。
人生は不公平だけど、それでも前を向くものだと思う。
時と場合によりすぎるけど、不幸は基本不幸な事が多いよね。
何言ってんのレベルの話だな・・・
犬の方はただのハッピーエンドじゃん
世の中作品より奇妙なことだらけだからそういった人を探してみてほしいとかしょうもないことを思ってしまった
絶対塞翁が馬の数倍上下を堪能してる人はいるでしょ
意味不明な動画
考え方次第という事例に当てはまっていない
>飼い犬ノヴァを失ったエリック
>ノヴァを連れ戻した女性との出会いで運が変化
これはあくまで結果論
考え方とは別
>悪いニュースは、エリックの頭部に小さな腫瘍が発見されたことだ。しかし、それは事故が原因ではなく、事故後のCT検査で偶然判明したことだった。
これも考え次第とは違う
どうみても幸運
運は信じられないほどのランダム性に富んでいることを示唆するためのアニメとしては
あまりにもお粗末
>>17
それはあなたがポジティブなだけだろう
繰り返しやな。
その最期の傷からまた作ろおもたらなんぼでも
ストーリーができるんやろな。
逆バージョンもみたいね。
良いと思ったイベントが、後々
いかに良くない影響がでてくるんかみたいな。
まあトータル内容薄いけど笑笑
生きていてイロイロ不平不満を持つこともあるが、私は生まれた瞬間から幸運だ。
少なくともまともな親の下に生まれ、捨てるほどの食料に恵まれ、贅沢を言わなければなんの不自由もない国で生活できるのだから。
産まれたときからガリガリに痩せ細り、飢えの中でがむしゃらに生きなければならないテレビも何もない最貧国のどん底で産まれた者の事を思えば、給料が安いとか理想の彼女との出会いがないとかそんなことは些細な問題だろう。
塞翁が馬の西洋バージョンかな
昨日たまたまサイオー馬をドラえもんで見た!
※21
西洋っていうか、現代バージョンかな…?
逃げた動物が新たな出会いを連れて戻ってきたり
乗り物で事故したり、それで命の危険を防げたり、
展開の要所自体似ていて、全くのゼロからの発想というより
作者は「塞翁が馬」を知っててアレンジしてそうに思える。
最後が徴兵回避じゃなくなってるところが、感慨深い。
ただ、駿馬ゲット!⇒ 落馬で骨折 のスムーズな流れに比べると
彼女を迎えに行く途中の交通事故というのは
やや関連性が薄い気もする。
この話にはとても共感できます。私の高校生活はすべて勉強にささげたようなものでした。どうしても行きたい大学があり、そのためにすべてを犠牲にしました。成績も順調で、このままいけば合格できるという成績でした。しかし、本番でとったことのないほど低い点数をとり、合格最低点まで1000点中6点足りずに不合格でした。とてもくやしく、来年こそは!と勉強していましたが体調不良の検査から心臓に発覚。手術を受け、長期入院することになりました。お医者さんからは「一人暮らしを始めて、体調不良を新生活のせいにしてたら君は死んでいたよ」と言われました。当時は行きたい大学に行けるなら死んでもいいとすら思っていましたが、いまでは生きているって本当に素晴らしいと思います。
言いたいことは、人生よいこと、悪いこと必ず両方が起きていきます。そのこと自体は人間の力ではどうしようもありません。取り返しのつかない悪いことが起きても、人は何とか自分を納得させて前を向いていくしかないのです。しばらくへこんで、悲嘆にくれることもありますが、そのことで腐ってはいけません。そしてよいことが起きたらそのことに心から感謝するのです。人生でおこる悪いことのいくつかは自分の力ではどうしようもないものです。それにぶつかったとき、いかに自分を納得させるか、前を向くかが大切だと思います。
ちなみに、私が行きたかった大学は大学院から進学し、現在好きな研究を行えています。
>>23
素晴らしい!体に気をつけて頑張って下さいね😊
※23
頼む、改行してくれ!
視力が悪くて読めない、ずれてしまう
いいことを書いてても、読む気になれない
仏教の一つではすべて空なのだから、幸せと思えば幸せだし、不幸と思えば不幸だ
その選択は自分次第みたいな話があるでしょ
なので、話の内容は確実に幸せだよ
※24
そんな仙人みたいな人間は確実につまらない。
エリックさん大変だな彼女ができたと思ったら事故で入院だなんて…
じんかん万事だろ。
じんかんはにんげんのことではなく、人の世のこと。
じんかん50年 げてんのうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり
難しくてよくわからないから
とりあえず「今」を生きる事にするよ
自分が生まれた時、オセロの白でスタートしたなら
人生紆余曲折あるだろうけど、最後ハッピーだったなら
全部白に替えられるよね
人生どんな過程を送っても最後は死によって終結する
無駄で虚しいと捉えるか、いかに良く生きて楽しみや満足を得るか、かな
ブッダが辿り着いた悟りと言う心理と言うか心境はこういうことなのか・・・。
有るをば有るとし、無きをば無きとす・・・。
人間万事塞翁が馬だろうに
そんな都合よく悪い事の後に幸運が来る事自体があり得ない。悪い事の後にさらに悪い事が重なる事の方が多い。何故なら、平穏というのは裏である悪い事が進行中という事だから。
人生バンジー サイボーグ化馬
塞翁が馬ってことを言いたいのは分かるけど、不運のあとに都合よく幸運は来ないからモヤモヤする。
幸運な人はそもそも犬が居なくならないし、犬関係なく彼女できるし、事故に合わないし、腫瘍もできない。
不運な人は犬が帰ってこないし、彼女もできないし、事故にも会うし、腫瘍は手遅れで発見される。考え方ではどうにかなるもんじゃない。
※36
あげてる例で運が絡んでるのは事故くらいのものなんだけど
自分に彼女がいないのは運がないからだと思ってる?
※44
モテない人自身に問題があると言えばそうだけど、
そもそもそんな風になってしまったのは親とか学校とか育った環境が全てだと思うよ。
好きで不細工根暗コミュ障になるわけないじゃん。
いい記事を見た。楽しく前向きに頑張ります。不幸に囚われていたら本当に不幸になる。
(勿論、不慮の事故、事件に巻き込まれた、罪のない人々のことを思うと、一概には言えないけど)
被災地の人たちが、前を向いて頑張っているのを見たら、とにかく立ち上がろう!ずっと誰かのせいにしてウジウジ部屋の中で考えるのはやめよう!と思えた。
受け止め方にこれだけバリエーションが出るのは、やはり人それぞれ生きてきた背景が違うからでしょうか。前向きに捉えるも、否定するも、答えは違ってかまわないと思います。
重箱の隅をつついたり、揚げ足をとる人生も、楽しけりゃそれもまた人生w
これがアメリカなら
脳腫瘍手術代で人生2~3回繰り返しても
払いきれない請求くるのが
続きってとこかな
ウサギ
「えーー
怖いんですけど」
どう頑張っても不幸あるいは幸福な結末(死)を迎えるのが人の一生だけど、人生の一時の結果で結末を判断してはいけないってことかな
でも皆そんなギャンブルしたいわけじゃないから安定した一時の結果を連続して求めるよね
人生至るところに青山あり。
人生は自分の思いどうりに行くわけではない、むしろ運命を受け入れて生きる方がよい。その方が人生ひろがる。
禍福は糾える縄の如しって言葉があるじゃん? そういうことじゃん?
馬が逃げては嘆き、
馬が増えては世話も増えたと嘆き、
息子がその馬でケガをしては「それみたことか」と嘆き、
そのケガで戦場に行かずに済むとそれは「不名誉だ」と嘆く。
そんな塞翁だったらイヤだわww
全ては脳腫瘍が見せていた幻でした。とかじゃなくて良かった・・・のか?
これって考え方と言うより、災い転じて福と成すじゃないのかな?
作者は不運も考え方次第ってことを伝えたかったんだろうけど、ちょっと都合が良いストーリーだな。
この記事や動画って「不幸の後にはいつか幸福がくるよ☆」って内容なの?「幸福や不幸はランダムでコントロールすることはできない。ならば、それを嘆いて生きることは、自分で自分を不幸にしているのではないか?辛いことがあっても、それに捕らわれないように生きることを目指すべきではないだろうか」という主旨なのではないでしょうか。
不幸だと思うことが不幸でつまらないのなら、今が不幸だと思える自分は幸せなんだとその不幸を楽しんでしまえばいい。
退屈の中に幸せはないのだから。
悪いことに付随して、人生を左右するほどラッキーなことが起こっているよね。
そんな分かりやすいラッキーが起こるだろうか・・
まあものは考えようなんだけどね・・
なぜかかわらない
漫画で読むことわざの本が無い国のひとは
アニメで一個ずつ作らなきゃいけないのか。
細かいけど「人間」万事塞翁が馬ですね
良い記事ありがとうございます
まぁどう考えてもただの不幸って出来事はあるけどね。
人生はチョコレートの箱食べてみるまでわからない
中身がゲロマズか毒入りか、高級チョコかただのチョコかも分からない
でも開けないと生きられない 博打するしかない
だからみんなおかしくなる
物事に意味を見出すのは自由だが、それに振り回されると、変な水を買ったり、訳の判らないお告げを金を出して聞いたりするようになるので、「最善を尽くして結果は知らん」くらいがいい感じがするけどな。
まあ不幸な時でも頑張って行こうぜって事で
そっとタイトル修正してくるカラパイアかわいい
置かれた環境、起きる事柄等によってではなくて、捉え方次第では不運も運と紙一重、ぐるっと回って幸運にも転ずるということだと思う
でもこういうのは自分の心に刻むのであって、他人が言っても反感を買う方が多いかも
起こったことはすべて正しいと考えたほうが、本人のためになるんだよ。
いつまでもグチグチ言ってるより、その後の人生が開けやすくなる。
不幸中の幸いってやつか
いやいや、実話なら説得力あるけどこれ作者の都合でどんでん返ししてるだけやん。ランダムでも何でもない。事故って死んでも考え方次第で幸運と思えるんか?
ランダム性とか考え方とかじゃなくて、単にこいつが普通に超絶ラッキーなだけじゃん
自分の状況をどう思うかは認知の問題だと思うけど
認知というのは現実と正しく相対するために必要な人間の機能なので
それを都合よくコントロールしようと思うと正常な機能を外れて「狂気」のほうへ踏み込んでいく
ままならないもんだよ感情や認知も
運よりも、的確な言葉を探してる。
なにかしらのイベントがあるように思えるが実際はなんもなく
気にもかけないような仕草や言動と言った重箱の隅をつつくようなことをで全てを無くす
「考え方次第」だけではないね。
この場合、「運次第」と言ったほうが近い。
考え方次第は一理あるが、その言い方が、ちょっと違うと思った。
「良いことだと信じる」
考え方というより、「信じる」に近いと感じた。
幸せだなぁ、不幸だなぁ、そう感じる根本は、考えとかじゃない。
考えはあくまで表層的なもの。
そうじゃなく、「感情」とか、もっと根深いものだ。
自分は昔から、プラス思考で考えようと努めているが、困難だった。
日々の考え方の癖を見つめ直し、修正を繰り返そうと努力を重ねても、それでも難しかった。
それは自分が特殊な例なのかもしれないが――、考え方一つで変わるというのは、あくまで結果的なものではないか? 考え方が変えられる状態にまでもってこれたからこそ、出来たのではないか? と思う。
問題は、もっと根底。先天的な可能性もある。人間としての根底が変わらないと難しい。
つまり、結論としては、考え方や感情や心も変えられるのは、「人による」と。
いつも思うけど、幸運と不運が交互にやってくるという時点で都合がいい。
実際は不運が続くだけの人もいるだろうけど。