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生き延びる為、人は苦渋の選択をした。アンデス山脈飛行機遭難事故の奇跡の生還者

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(著)

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 今から40年前、1972年10月13日(金)にその悲劇は起きた。ウルグアイ空軍571便がアンデス山脈に墜落したのだ。飛行機に乗っていたのは、試合のためアルゼンチンからチリへ向かうウルグアイのラグビーチームとその家族や知人を合わせた一行40名と乗員5名の計45名だった。

ソース:Чудо в Андах ≫ 21 Регион – Информационно-развлекательный портал. Чебоксары. Чувашия
ウルグアイ空軍機571便遭難事故 – Wikipedia

アンデス山脈に飛行機が墜落、巻き込まれたラグビーチーム

 アンデス山脈での天候不良の為、アルゼンチンのメンドーサで一泊した一行は13日に再び飛行機に乗り込んだ。

 この日も悪天候で、山々を深く覆う雲の中に突入して間もなく峰と衝突。ここはソスネアド峰とティンギリリカ火山 の間の人里はなれた山地であり、チリとアルゼンチンの国境にまたがる高度4,200メートルの地点だった。

 飛行機に乗り合わせていたウルグアイのラグビーチーム

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 吹き飛んだ右翼で垂直尾翼が切り取られ、胴体後部に穴が空いた。再度の衝突で左翼も無くなり、機体はただの空を飛ぶ胴体だけとなった。

 機体は、飛んできたプロペラによって切り裂かれたのちに、地面に衝突し、険しい崖を滑落して最終的に雪に埋まって停止した。

また機体の尾部は多くの荷物を積んだまま胴体とは分離して別の場所へ滑落した。乗客3名と乗員2名が機外に放り出され、9名が即死し、負傷が元で初日中に3名が死亡した。この時点で生存者は28名となった。

生き残った人々のサバイバル

 残った28名は凍てつくように寒い高山でどうやって生存するかという難問に直面した。防寒着や雪を踏み分ける防寒靴などの装備がなかった。

 雪眼炎を防ぐサングラスもなく、最後の生存者のひとりである24歳のアドルフォ・”フィト”・ストラウチは、操縦室のサンバイザーを加工してサングラスを作り、目を守った。

 多くの人が墜落直後に席から放り出されたことによって足を骨折していたが、医療品もなく、生存した医大生2名が航空機の支柱で添え木を作った。

 ウルグアイ、チリ、アルゼンチンの3ヶ国から成る捜索隊が捜索を開始したが、フェアチャイルド機の外装は白かったので、積雪に混じり合い、空からの発見は非常に困難だった。捜索は開始から8日後の10月21日に中止された。

Cannibalism in the Andes | 1972 Plane Disaster Documentary | Trans World Sport

残された食料が尽きる、捜査打ち切りのニュース

 10月22日(日)、事故から9日後。配給管理された食糧が尽き、自然植生植物も動物も雪で覆われている山には存在しなかった。

 機体内で議論が行われ、ロベルト・カネッサは仲間の遺体を人肉食して生存を続けることを主張した。

 何人もの生存者が食べることを拒否したが、ロベルト・カネッサが主導権を握った。この決定は人肉食する相手のほとんどが彼らの親友・級友であったので軽い決定ではなかった。

 墜落から11日後に、生存者のロイ・ハーレーは、機内にあったトランジスタラジオで捜索が中止されたというニュースを聞いた。

ニュースを聞くと、ロイの周りに居た生存者たちは、パラード以外全員すすり泣き、祈り始めた。パラードは冷静に西にそびえる山を見上げた。グスターボ・ココ・ニコリッチは、機体から出て、彼らの顔を見て、彼らが何を聞いていたかを悟った。

そして、スーツケースとラガーシャツで薄暗い胴体の入り口へ登り、振り返ると「ほら、少年!」と叫んだ。「朗報だ! ラジオを聞いた。捜索が中止された。」機体の中は沈黙していた。

皆は見込みのない状況に涙した。パエスは怒って「一体それのどこが朗報だ?」と叫んだ。「その意味するところは」とニコリッチは言った。「我々が自分たちでここを脱出するということだ。」この1人の少年のおかげで、完全な絶望に陥ることは防がれた(ピアス・ポール・リードの著書『生存者(原題: Alive: The Story of the Andes Survivors)』より)

生き残るための苦渋の決断

 救援を求めるために、コックピット無線機を使用しようとしたが、無線機の出力が全くないことが判明した。

 その後死亡する航空機関士は、墜落後に脱落した機体の尾部にバッテリーが積み込まれていたために電源がなくなり通信ができないと説明した。

 生存者のひとりナンド・パラードの著書で2006年に出版された『アンデスの奇跡:72日間を生き延びて山脈から生還 』ではこう綴られている。

高山では、身体に必要なエネルギーは膨大だった。…新たな食料を発見するという望みはなく、我々は本気で飢えていた。我々は新たな食料を探し求めて機内を捜索した

何度も胴体の中を探し回り、モーゼルで山を登った。我々は、荷物の断片である革片を、それに使われている化学物質が身体に与える益よりも害が大きいことを知りながら食べようとした。

我々は藁を見つけようとして多くの座席やクッションを切り裂いたが、藁は使われていないことがわかった。…

我々は何度も同じ結論に達した。我々が着ていた衣服は食べられないし、アルミニウム、プラスチック、氷、岩石以外に何もここにはなかった。

 乗客は全員カトリック教徒だったが、ピエス・ポール・リードが、問題となっている行為は聖餐(せいさん)と同一視されると主張した。

 それは唯一の生存の方法であった。他の人々は、そのことを祝福したが救出後にその行為が発覚したときには態度を翻している。

 10月29日(日)生存者たちが機体の中で眠りにつこうとしていたとき、雪崩がすさまじい勢いで機体の中に流れ込み、機体の中で横たわっていた全員を埋め尽くした。

 比較的浅く埋まった人は、雪で埋まった人を救おうとしたが、19人の生存者を残して8人が死亡した(死亡26名、生存19名)。3日間、機体は数フィートの雪の下に埋まり、生存者たちは非常に狭く閉じ込められた中で生き延びた。

生き残った者すべてが生還

 そして運命の12月21日、救助を求め墜落現場から2度の移動を試みていた、カネッサとパラードは、ついに農夫と接触することに成功。

 農夫は2人を村へと導いてくれた。2人が村に到着したのは、山中をさまよい始めて10日目、飛行機墜落から72日目のことだった。

 救援のヘリコプターにより、先に救出された2人を除き、生き残った14人が救出されることとなる。ところが、彼らを待っていたのは、人肉を食べて生き残った者に対する世間の好奇の目であった。

 「アンデス山中の奇跡」と呼ばれるこの話は、『生きてこそ』というタイトルで映画にもなった有名な話である。

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この記事へのコメント 83件

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  1. ドキュメンタリーみたわ。
    記者から「何を食べてたのか」と聞かれても
    遺体だと答えられず当初は話せなかったらしいね

    • +14
  2. 家族や大切な人になら食べられても良い。他人は嫌だ。
    書き込めない気がするが連投になってたら申し訳ない

    • +1
  3. 俺も食べるより、食べられたい…
    これは批判出来ない出来事だな。

    • +1
  4. 最近の深い河という本でこの事故のことを知りました。
    このごろいのちについていろいろと考えさせられます。

    • +23
  5. 家族や大切な人になら食べられても良い。他人は嫌だ。

    • +12
  6. 食べるとしたら手足だけだな
    内臓は食べる気にならん

    • +58
  7. このニュースは嫌いだね
    とり上げたら必ず人を食べたと言うのが前面に出てくる話しでウンザリする
    食べ物なけりゃ食べるのは当たり前だろ もう勘弁してやれよ

    • -16
  8. 映画「生きてこそ」は名作。昔の映画だけど本当に皆に見てもらいたい。
    学生のとき興味本位で友人と見たが、久しぶりに合って酒を飲んでも
    その映画の話になるくらい記憶に残ってる。
    「ナンドォ~」は俺ら二人の中では一番の名セリフ&衝撃。

    • +9
  9. 確かイーサンの映画だったと思うが、劇中を再現するため同じように雪山と近い外気温にして映画を見た覚えがある。と言ってもマイナス9度くらいだが。人肉とはいえ生きるためには仕方がないと思うな、嫌なら黙って寿命が尽きるのを待てばいいと思う。

    • +4
    1. ※14
      単純な好奇の目に晒されていてそれが気の毒というのならば同意だけど
      殆どの人は別に責めてるわけでもないし
      単なる人食い話で終わらず「極限の状態での選択」を考える教訓と機会を与えてるわけで
      そして殆どの人は尊厳を踏まえて真摯に捉えているわけだし
      しかも今や知らない世代もいるわけだし、
      それこそ単に嫌いだけでこのニュースを語り継がない方がどうかと。

      • 評価
  10. 生きるために仕方ないことだったし
    これは誰も責められないな

    • +14
  11. 食うものがなくなっても共食いをするなと神はおっしゃられている。
    共食いをした人間は獣の刻印が押されたことになり救われないのだと。

    • +19
  12. 現代日本の飛行機が墜落して多数の生存者に技術者なし状態で遭難状態になったら
    それはそれは醜い光景が見られそうだよ

    • -17
  13. んーまぁ普通の生活の中での論理観を当てはめれば抵抗あるのはしょうがないよね
    でも、誇張無しで、食わなきゃ死ぬ状況なら食うよ
    いただきますって言ってね

    • +33
  14. 日本も似たような事件があって「ひかりごけ」って映画にもなってるよね。

    • -7
  15. ミニョネット号事件だっけ?
    最も衰弱した人間を殺して、それを食べてみんな助かったってやつ・・・
    今回は遺体を食べたってわけだし、ただ事故で虚しく死んでしまうより
    誰かの命を紡いでるってのは素敵なことだと思うよ

    • +27
  16. 別に死んだら誰に食われたっていいよ
    ただ、生きているときに殺されて食料にされるのは嫌だな

    • +6
  17. 人間はふだん十分に功利主義的に生きてるんだから、非常事態だけ良い顔をする必要はあるまいよ

    • +3
  18. 確か「アンデスの聖餐」というドキュメント映画があったと思う。
    当時、映画のチラシをコレクションするのが流行っていて、これをどこぞで入手した。
    物置に眠っているだろうが、いまや何の価値もないんだろうなぁ。

    • +3
  19. 明瞭に意識がある中で、本当に死に直面した事がある健康な人なら、「生きたい」と言うよりも「絶対に死にたくない」と思うはず(少なくとも俺はそうだった)なので死んだ人を食うのは肯定する。
    が、自分が食われるんなら身内のが良いけど、自分が食うんなら他人の方が良い気がする。不思議。

    • +9
  20. そういえば最近、東京で人肉食のイベントがあったそうでニュースになってたな

    • +41
  21. 「生きてこそ」観たなあ
    ケツの肉が食べやすかったらしいね

    • 評価
  22. 同種の肉を食って狂牛病が発生したとか
    それの人間バージョンもあったとかなんとか
    なにも書いてないし大丈夫だったのかな
    よくわからんけど。

    • +10
  23. 食べられるなら、若いイケメンに食べられたい
    不細工やジジババの糧にはなりたくない

    • 評価
  24. まあカラパイア見るのも好奇心だからそう変わらないけどね

    • +13
  25. 同じ状況に置かれたとして、小汚いおっさんやブスの肉だった場合に食う勇気があるかどうか

    • -1
  26. 「生きてこそ」映画を子供の頃みたよ。有名な話でドキュメンタリーも過去何回もやっていたよ。
    逞しい若者達でなければとても生きぬけなかったような過酷な状況だったようだ。
    若くて逞しい男達だったのに過酷な状況で命を落としていった。
    当然の事をしたと思う。よく生き抜いて帰って来たよ。すごいよ。

    • +3
  27. 小学生の時、親がなんかと間違って「生存者」を買ってきて
    グロは教育によろしくないと俺から隠してたんだけど読んじゃって、
    以来空缶のバイブル。行動指針と言ってもいい。
    何かと問題の多い社会生活の中で
    「彼らならどうするか」等とよく考えてしまう。
    パラードはもう尊敬するしかないが、あの気高さはとても真似できない。
    性格にムラがあるカネッサに空缶は一番シンパシーを感じるので
    テンプレとして脳内に常駐してもらってる。
    ドイツ人トリオの意志の強さ、その源はどこにあるのか等も興味深い。
    と、限りなくボビー・フランソワに近い空缶が語ってみた。

    • 評価
    1. >>34 一部モンゴロイドを除くすべての人種はすでに人肉食を経験して
      免疫を持ってるって過去記事でなかったかな?

      • -42
  28. これについては
    カトリック教会だったかが正式に「許す」という声明を出してるよね
    当然だと思うわ
    逆に教会の許しがなければ世間が許さないというなら、そのほうが怖い

    • -21
    1. >>37
      普段でもナマコとかイカとかグロで醜悪なもの食ってるのに、極限状態で食料の生前の姿なんか気にらないだろ。

      • +16
  29. ガキの時分、多分この事件を扱った最初の映画『アンデスの聖餐』を見たことあるよ。
    遭難中に撮った生々しい8ミリや写真が結構残ってるんだよね。
    煙草は不自由しなかったのか、なぜかいつもタバコ吸ってるのが印象に残った。

    • +20
  30. この救援を求めて山を進んだ二人は死んだ
    家族の手足を食料として、持っていったんだよな。
    この事からも本当に極限の状態だった事が分かるよ。

    • +4
  31. 納得して食べたり食べられたりという関係が持てるのは、皆の立場が対等という認識が前提にあってかな。社会的地位が下のものは上のもののために食べられるべきだとかとか言った考え方が入り込んでくるとグロテスクな世界にならざるをえない。

    • +1
  32. ガキの頃小説で読んだな
    たしか「生存者」ってタイトルだったと

    • +51
    1. ※42
      まあ世間を納得させるためというより罪の意識にさいなまれている当事者へ
      彼らの基盤になってる信仰元が「大丈夫、許されてますよ」って太鼓判押す事によって
      少しでも心を軽くしてやれるようにという配慮が大きいだろうな

      • +4
  33. 小学校5か6年で見させられた記憶がある。
    今見たら違う見方ができるだろうか。

    • +8
  34. 他人から移植の為に腎臓貰うのも心臓貰うのも食ってるようなもんだよ。
    もともと生き物食ってる人間の垣根はモラルのみ。

    • -1
  35. 何が凄いって、その後も彼らは同じ所に住んでいて
    生活してるってことだよな
    皆が「そのことについては触れない」にしても認めあっている
    その後の生存した人によりドキュメンタリーを見たけど
    不思議な気がしたよ

    • +9
  36. 「生存者」昔読んだ
    最初は便秘に悩まされ、人の脂で下剤作って解消とか
    この人たちサバイバル能力高すぎるんだぜ。
    キリスト教徒の女性が最後まで人肉食うの拒んで餓死したんだよね
    最後「私が死んだら私を食べて」って言い残してさ

    • +2
  37. >53
    女性も含めほぼ全員がクリスチャン。
    女性は嫌々ながら肉を口にしたが、雪崩で埋もれて死んだ。

    • 評価
  38. 少なくとも、有名な宗教で命の危機のときに共食いしても罪になるなんてのはないはず。
    多分、罪になるなんて書き込みした人は思い込みか、どっかの怪しい宗教の(それこそ
    キリスト教系派生とか)人なんじゃないか?

    • +12
    1. >>53
      宗教が死に体な我ら日本人としては全員人肉食して生き残りたいものだな
      切り身の魚しか見たこと無いような時代だし
      案外、目の前の遺体が食えることに気づかず全滅したりして…

      • +6
  39. この記事で「タンタン(TINTIN)チベットをゆく」を思い出したが刊行年が1960年と言うことで全く関係ないものだということが分かったが、生存者名簿の中にTintin(ティンティン)という名を見つけ不思議な縁を感じた。
    まあ関係ない話だが…

    • -1
  40. 人肉なんて想像しただけでひえ~って思うけど、
    この人たちの事責める事は出来ないな
    てか何も言えないわ

    • 評価
  41. 人の屍の上に立てないのなら
    この資本主義時代を生きる資格はない
    どれだけの搾取、それゆえの貧困や死によって
    経済大国というものが成り立っているか

    • -2
  42. これで生き残った人たちで、仕事で成功している人も沢山いるみたい。
    その1人がドキュメンタリーであの山から帰るまでの事を思うと、自分の仕事を含めあらゆる事は辛くないと思える、と言っていた。

    • +4
  43. 正当防衛の可能性もあるね。今回の場合日本の法律に当てはめるなら、亡くなってしまった人の体を損壊させたという意味で、死体損壊罪。
    死体を損壊させたが、そのおかげで他の人が生き延びることができた。
    死体を壊すという行為より、人が生き延びることが出来たという行為の方が法的に利益があったから成立。
    しかし、ハゲワシと少女もそうだけど、人の好奇心ってそれだけで凶器だよねぇ。

    • +4
  44. で、こういう時に普段から宗教に関心が薄い日本だと、国民に対して精神的影響力のある宗教が存在しないもんだから、こういった生存者はまずもって世間の圧倒的好奇心に晒される。
    この点では彼らも同じだったろう。だが、過去のカソリックの布教活動の歴史的経緯は有るものの日常の生活の中に宗教が根付いてる南米あたりでは、ここから先で宗教の出番になって来る。
    この場合一般的な人の考えでは極限的状況下において他者の「死体」を口にすること自体は致し方なし、という考えに落ち着くのが多いだろう。
    だがここから先が宗教を「持たない」日本と曲がりなりにも「持っている」国の違いが顕著になって来る。他者の身体を「食べてしまった」という禁忌を犯した人間を人間社会の「枠」の中にどうやって「収めて」おくのか、この場合宗教が生活の中に血肉となって根付いている国では「人の枠」から外れた人間の「規範と罪」は「神」の裁量に委ねられる。その代理人が神父であり、牧師であり、或いはその他の「宗教的指導者」と呼ばれる職種の人間が各々の宗教の上の倫理に照らし合わせて「罰」を与えるのだと思う。この場合はカソリックの総本山のバチカンが赦しを与えて一応の騒動が治まったようだが。

    • +4
  45. 「生きてこそ」は良い映画でしたよ。あれ以来イーサン・ホークのファンになった。
    (ビンセント・ドノブリオも出てたっけかな?)

    • -4
  46. 生存者の一人が宝くじ当てて大金持ちになったらしいね

    • +10
  47. 生存者の一人が宝くじ当てて大金持ちになったらしいね

    • +10
  48. 死ぬなら食うし。
    死んだら食ってくれっていうよ。
    日常生活の中で人を食うとかありえないが

    • +4
  49. 食料はとにかくとして、死を眼前にして、レ○プしまくってやろうとか思った人はいなかったのかな?
    性欲のほうにも興味がわくよね。
    最初は体力を温存してとか思うだろうが、諦めがはいったら分からないよね。

    • -1
  50. こんな提案をして、生に導く決断と行動をした、ロベルトさんは辛かっただろうな。いろんな意味で、よくやったと思う。

    • +1
  51. こういう話になるとしたり顔で「日本は無宗教だから~」って言い出す人がいるね
    本当の無宗教って意味を分かってないと思う
    本当に無宗教だったら日本中の伝統的な祭りなんて続いてないし、神社で柏手打ってお賽銭する人もいないし、墓参りもしないし、新興宗教であふれかえったりなんてしない
    とくにお祭りの中でも怪我人や死者の出るような危険なものは、信仰心が無ければとっくに禁止されて絶えているよ

    • +4
  52. まぁ、とにかく俺はカロリーが高いからみんなの役に立てそうな気がする。

    • 評価
  53. 『アンデスの聖餐』を見ると食いかけの死体が埋葬もされずにゴミと一緒に乱雑に放置されあちこちに骨が散乱してる様子が写ってる。最初にヘリで降り立った救助隊員がその様子に絶句したが歓喜する遭難者たちには何も言えなかったという証言も出てくる。『生きてこそ』の厳かなイメージとは違う凄まじい現実があったのも事実だろう。

    • +4
  54. バチカンかどっかが、彼らは敬虔な信者『だから』許すと声明をだしたな。
    だから宗教家は嫌いだ。
    なら、信者じゃない奴がいたら?
    やりたくてやったわけじゃないこと、しかも他にどうしようもないことまで神を持ち出してぐちぐち悪魔だなんだと責めたてて、宗教家のボスさえただ受け入れることさえようせぬのだから始末におえない。

    • +1
    1. ※72
      そもそも『信者じゃない奴』はよその神にゆるして欲しいなんて思わない。
      俺はあんたが俺を心配して言ってくれた事は一切聞かない、信じない、あんたのことをろくに勉強しないけど、あんたの信者がおかしいからあんたの事も思うさまけなすわ。だけどあんたはそういう俺のことを『無条件に』救い、許すべきって?それ『赦し』じゃないよね。免罪符を金で買う行為と何ら変わらない。
      甘えが過ぎるし傲慢極まりない。
      変な宗教やおかしな信者を嫌うんならわかる。でも、自分から歩み寄る自由を行使しないくせに、だから宗教家は嫌いだとか言うのは本当に意味不明。

      • 評価
  55. ↑言いたいことも気持ちも十分にわかるが、少し論点が違わないだろうか。
    カトリックがいなかったらというのはあなたの脳内での仮定に過ぎず、いざそうなった場合にバチカンが実際どう発言するかは、その時になってみないとわからないことだ。よって、あなたの怒りはお門違いの思い込みとなる。
    また、他宗教の信者や無神論者に対してまでバチカンが赦す赦さないなどと言及するのは、むしろおこがましいことと受け取られる場合もあるのではないだろうか。
    何かに属したり信仰を持つこと自体は、あなたが好むと好まざるとにかかわらず、悪ではない。所属や信仰を表明するのと引き換えに、自らの頭で考えることをやめ、自律を放棄する怠惰が悪なだけだ。
    何かを信仰しながら他を尊重することは、何にも属さず他を尊重するよりはるかに難しい。
    そして、彼らはあくまでもカトリックの教義における赦しの話を、カトリック総本山として信者と話しているのであり、カトリックでないあなたが、個人の事情による勝手な想像で噛みついていい話ではない。
    なお、私はカトリックでもプロテスタントでもなく、ある教えに捕らわれて他を排除する者も好きではない。しかしながら、一つの宗教に捕らわれる生き方を嫌うあまり、宗教自体についてさしたる知識もないまま無闇に嫌うのは怠惰であり、宗教嫌い教という別の宗教の信者であるに過ぎない。これでは本末転倒だ。
    このケースでは生存者は敬虔なカトリック『だからこそ』神から赦されないと思い、苦しんでいた。
    それを、いやそうではないのだ、あなたたちは敬虔なカトリック『だから(こそ)』神もお赦しになるだろう……と、視界を180°転換させてやることで彼らを苦しみから救おうとしたんだろう。何も悪いことなどない。

    • -18
  56. >20
    この事件については神の代理人たる法王から認められ、赦しが得られている
    エセ宗教家の出る幕じゃないわ
    「生きてこそ」当時映画館で見たけど、映画のエンディングでは客席全体から自然に拍手が起こってたのを良く覚えてる、自分も思わず拍手した
    映画に拍手なんて、その当時でもめったに見られなくなってた光景だから余計に印象に残ってるわ

    • +3
  57. 自分も地獄を見てないから
    能動的に行動できんのだろうか・・・
    でも家出した時は放置されてれば普通に死んでたんだよな・・・
    やっぱり生き残る人は生命力が違うな

    • 評価
  58. 状況的に見てそりゃ死ぬぐらいなら食うわな
    生ではムリだが焼けばなんとか食えそう

    • 評価
  59. 死体の所有権は家族にあるんでしょ。
    飢えてたって、勝手に人の物食ったら犯罪じゃん。

    • 評価
    1. ※78
      日本なら緊急避難で無罪になる可能性が高いよ

      • 評価
  60. 日本でも飢饉の時は人肉食ったし、世界中、どこの国でも過去にはよくあったこと
    民族によっては亡くなった勇者の肉を食うことでその力を貰う、それが死者への尊敬になるという宗教すらある
    現在は人肉を食わなくてもいい場合が多いので忌避感が強いが、それしか生きる方法がなければやむなしだと思う

    • +1
  61. 興味深い。結構みんな食べるor食べられてもいい派なんだね。
    宗教とか関係なく、人の肉食べてまで生き残る意味が見出せないから食べないし、よっぽど自分が尊敬するような偉大な相手でなければ食べられたくない。
    臓器移植でも言える事だけど、妻の腎臓貰った夫が性犯罪やらかした例もあったから全ての命が等しく尊く生き存える事が素晴らしいとは思わないわ。

    • 評価
  62. まぁ、俺達みたいな安全な部屋で食事も十分に取れてる人間達が軽々しく「俺なら食べないね。」だの偉そうに言ってる奴がアホらしさ全開で面白い。
    本当に生きるか死ぬかの極限状態に陥ってる人間の想像力が多分無いんだろうなぁ。
    どんなに理性的な人間だろうと血相変えるわ

    • -1
  63. 死にかけたら自分食べて仲間が生きれるなら食べて欲しいね。死ぬ前に血飲んで欲しい。

    • 評価

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