この画像を大きなサイズで見る米アラスカ州西部、アリューシャン列島のラット諸島に位置するキスカ島は、太平洋戦争中の1942年6月7日に日本軍が攻略、「鳴神島」と命名されたこともある島である。
キスカ島の昔と今がわかる写真が「忘れがたい戦いの地」としてアメリカのサイトに掲載されていた。
ソース:The Forgotten Battle: The Japanese Invasion of Alaska ~ Kuriositas
キスカ島 – Wikipedia
キスカ島撤退作戦 – Wikipedia
キスカ島は、太平洋戦争中の1942年6月、ミッドウェー作戦の陽動作戦として同じアリューシャン列島のアッツ島と共に日本軍に攻略された島である。ここに日本軍の拠点があることは米本土への脅威になった為、米軍による奪還作戦が決行され、日本軍守備隊と交戦がはじまった。
この画像を大きなサイズで見る1943年(昭和18年)5月にアッツ島をアメリカ軍が奪還すると、キスカ島でも緊張が高まり、戦略的意義が再検討され、キスカ島より撤退することとなった。幾度となく日本海軍救援艦隊が派遣されたが、気象状況(濃霧)や米艦隊の展開に阻害され、ようやく木村昌福少将率いる救援艦隊(第五艦隊)により、同年7月、無事救出された。
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この画像を大きなサイズで見るこの救出作戦はキスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。
成功の要因はキスカ島東側より救出に向かうと敵艦隊に狙われるため、霧発生などで危険であったが島を西からぐるりと回り、あらかじめ艦に用意していた「大発」と呼ばれる主に海軍陸戦隊または陸軍上陸用に使用される小型艇で救出し、それを破棄したスペースに兵を乗せたためである。
この時期になると物資もかなり不足しており、貴重な資源を破棄するという大胆な行動であった。また、アメリカ軍は撤退したとは知らず、無人となった島に艦砲による猛攻撃をかけ、多数の陸上部隊を上陸させたが、いたのは軍犬2匹のみだったとのことである。
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この画像を大きなサイズで見るこの際、アメリカ軍は同士討ちによる死傷者を多数発生させている。なお、日本軍は悪戯で「ペスト患者収容所」と書かれた立て看板を残し(実は某軍医の策略だった)、これを見たアメリカ軍は一時パニック状態に陥り、緊急に本国に大量のワクチンを発注した(ドナルド・キーンの自伝小説『私と20世紀のクロニクル』にもこの顛末が登場する)。
現在キスカ島は、国立公園となっており、自然を守る為、また、米国の歴史的なランドマークとして、そのままの状態で保存されている。
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この画像を大きなサイズで見る1943年8月15日 米軍のキスカ島上陸作戦の映像














だれもいないからいいけど、不発弾処理ぐらいはやっとけよなぁ
>>1
ヨーロッパ戦線の激戦地でも埋没した状態で廃棄された戦車やら当時の軍用車が普通に発見されたり重軽火器類、砲弾やら銃弾やらが住宅街近くの山間部、塹壕後で大量に出てきたりするから激戦地では珍しい事ではないかと、新興住宅街の下は激戦地で戦死して未発見のままの兵士(白骨)やら戦車、軍用車両、不発弾や錆び弾、進軍時に破棄された砲弾やら銃弾が埋まったままなんてのも普通にあるみたいですしね。
日本軍がキスカ島から撤退した後も米軍が攻撃し続けたのは、爆撃機部隊の視力不良で現地のキツネを日本兵と見間違えていたからだそうです。
この奇跡がせめてミッドウエーでも続いていたら・・・
※3 続くもなにもミッドウェー海戦のほうが一年も前だろ。負けの中だから奇跡なんだよ
写真みてキャンプ用具持って行ってみたくなった
歓迎されたんだよね
決して侵略じゃないところが日本らしいというか、誇りに思う
三船敏郎の『太平洋奇跡の作戦 キスカ』は名作だった。
若かりし日の児玉清も出演。
惜しむらくは木村昌福少将の自慢の口髭が
コミカルに過ぎるということぐらいか。
最近の戦争映画によくある取って付けたようなロマンスは一切なく、
真正面から戦争を描いた傑作!
東宝映画『太平洋奇跡の作戦 キスカ』は邦画戦争物には珍しいスカッとする快作。
あージパングで見た いってみたい
「ペスト患者収容所」と書かれた立て看板を残すなんて日本軍もなかなかやるな
「ペスト患者収容所」と書かれた立て看板を残しってwww
その軍医のセンスに脱帽。
おれも「月曜ロードショー」で観た。
木村少将の御家族は映画「キスカ」上映後も最初は木村少将の偉功を知らなかった。
これは、戦後製塩業に従事していた元少将が戦中の事を一切語らなかったため。
米兵ざまああああwwwwwwwwwww
奇跡の生還と言えば聞こえは良いけど、要するに敵前逃亡なんだけどね。
※14は敵前逃亡の意味どころか、陽動って単語からして理解してなさそうだ
ま、本来なら逃がすことも出来ずに全滅させられても仕方ない類の作戦だから、脱出の際にロクな戦闘も無しに兵のほとんどを無事帰還ってのは確かに奇跡みたいなもんだよ
貴重な装備や資源の投棄等、判断がよかったってのは間違いないが、それやれば無事に逃がせたって話でもないからな。ホント、判断がよかった上に運もよかったんだと思われ
更にもぬけの殻になった島に無駄な艦砲射撃を繰り返しまくって、挙句デタラメが書かれた立て看板一枚に恐慌状態とか、あまりに出来すぎてて作り話じゃないかとさえ思えてくる程だしな
まあ、デタラメっつっても、その状況でそんなもん置かれたら、そうならないほうがおかしい類の代物ではあるがw
※14
何故に敵前逃亡?上層部より作戦が立ってるのに
違いがわからないのは勉強不足やろ
「甲標的」がまだ残っていたのか!回収しましょう。
数年前の新聞の投書欄にキスカから脱出する際に自分が大発の底の栓を抜いて自沈処分したって人の話が出てた。まだ島から遠くない海底に沈んでる。
ここはアメリカ国立公園で上陸に許可が必要だったはず。固有の植物が生息してて生態を守るため。ここの遺物を国内で展示できればいいのになぁ。占守島のに残された日本軍戦車が全てロシアのクビンカ博物館に搬入されたみたいだし…
白黒の画像に写ってる潜水艇って甲標的かな
白黒写真の潜水艦、そのまま残ってるんだ。カラー写真の潜水艦と破損状態が同じだ。。
なるほど、カムチャツカ半島(松前藩が上陸)に加えて、キスカ島も日本の領土として奪還(千島列島と樺太はもとより)すべし。
ヒゲの木村少将ですね
アメリカ軍もミスしまくってる。
米艦隊の弾薬無駄撃ち&補給のため撤退、上陸直前の事実誤認による不必要な空爆、さらに上陸後の同士討ちの発生と散々な奪還作戦だったりする。
甲標的の残骸がまだ残っているとはねぇ……。
こういう島には博物館にもないような当時の兵器が、まだまだ沢山眠っているのかな。
個人的には長門とかP・オイゲンとか、絶対的劣勢の戦争を生き残った敗国の幸運艦を、核実験でアボーンしちゃったことがもったいなくてならん。
>『太平洋奇跡の作戦 キスカ』
この前見た。今の基準でも充分面白いよ。
>21
その理屈だと
元寇で占領された対馬、壱岐はモンゴルの
薩英戦争で占領された砲台はイギリスの
第二次世界大戦で占領された日本全土はアメリカのもの。
※26
薩英戦争は痛み分けだ
しかも人的損害は英軍が上
更に英軍の上陸は許してねぇ
ちゃんと調べろ
こんな話まったく知らんかったわ
大量の薬きょうがフジツボのように残ってるなんて…
全体的に錆びの進行が遅い?劣化が少ないような気がします。
もともとが陽動という戦略的な意味だったのでキスカ島は大成功だったといえようが、綱渡りもいいところだったわけだ。まさに奇跡の撤収だ。危うくアッツ島の二の舞になってしまうところだった。まぁアッツ島の玉砕があったからこそ米軍も羹に懲りて膾を吹いてしまったわけだが。
生き残った者、その子孫である我々がしっかり日本を守ってゆかねばならん。
自分のおじいちゃんもこの部隊に居た。生きてるうちに話をいろいろ聞いておきたかった。
よく聞く兵士を駒としか見てない日本軍とはえらい違いだな
揚陸艦を捨ててまで日本兵の撤退を優先してる
こういう話は知らないだけでたくさんあるんだろうね
日本軍は策士やで
日本軍の攻撃を警戒していた米軍が、濃霧で視界が閉ざされた中で、複数の艦のレーダーに捕捉した日本艦隊らしきエコーに向かって反応が消えるまで滅多矢鱈と盲撃ちしてついに全艦撃沈の戦果を挙げたはずが、そのときその場所に日本艦隊は存在せず、米軍は幻を追っかけて攻撃していた…という話があるアレだな。
結局このときレーダーに映ったのはなんだったのかいな。
※33
そして、弾薬を使い果たした米艦隊は補給のために1日だけ島の包囲を解いた。
その不思議な1日に救出艦隊はキスカ島に突入したわけです。
量で勝つ民族に勝!
ペストの看板とか軍医もなかなかジョークがうまい
戦争はお互いに非常なミスをしまくる行為だろう。
その量と質が少ないほど有利なだけ。不利な結果は常に人力と物資を投じて挽回するしかない。
アメリカも大量出血して日本に勝った。
勝った側が自分の愚かさを宣伝はしないわな。だから、日本の方が愚かとか言い過ぎる人を見ると、かわいそうな頭なんだなと思う。
でも、ちゃんとその失敗を研究するアメリカは強いと思うわ。日本は偉い人ほど自分の失敗を直視しない傾向にある。単純に言えば、日本の方がリーダーシップが欠如してるんだよ。単純にそれだけなんだが、その結果の違いは大きい。
確かこの撤収作戦は、木村少将の判断で2~3回位中断されているんだよな。
こういう決断力のある人が今の海自にもいて欲しいわ。
英語で「祖国に命を捧げし若者、ここに眠る。日本陸軍」って書かれた米兵の墓碑があったのもここだよね
撃墜した米軍パイロットを葬って、そこに英語のできる人間が立てたらしいっていう
敵同士でもお互い祖国のために命を張ってたから、そういう一定の尊敬があったんだろうな
>「ペスト患者収容所」と書かれた立て看板を残し(実は某軍医の策略だった)
当方おっさんですが、
20年ほど前、図書館の前で煙草の火を貸した御老体が、
「キスカ帰りの軍医」
でした。
撤退時の、そして戦後のいろんなお話聞きましたが、
当方若かったもので、肝心の御名前を忘れてしまいまして…
>28
大砲の写真でも、砲身と台座でサビの進行が違うから
同じ鉄でも種類が違うとサビ具合も違うみたい。
戦車?トーチカ?の側面は表面処理(メッキ?)されていたのではと思う。
薬莢は真鍮だろうから鉄のように赤い粉を噴いて膨らまないのかと。
ゲーム(多分FPSだろうけど)で地形をスキャンされてそのまま再現したのがあるらしいね
機会があったらやってみたい
もう26年前になるな。北海道からの慰霊巡拝団と一緒にアッツ島とキスカ島に上陸した。アッツ島は何か重苦しい空気だったけど、キスカ島はカラっとした空気だったのが印象に残った。
高台から湾を望む写真を見て、色々思いだした。この高台には、空を睨んだままの高射砲があったよ。
キスカの前のアッツ島がまさに全滅で、援軍も救出もできないまま全員見捨てる、という結末になった(これが後で「玉砕」という言葉が使われだす一件)
流石にキスカまで同じ失敗はできないって言うんで、上層部も(当時としては)かなり救援に力を割いてる。
ww2頃の日本擁護してるやつみると悲しくなるわ
あんなの完全に軍部の暴走だろ
流された国民も擁護できないし、阻止できなかった政府もどうしようもない。
あれを反省せず誇るなんてどうかしてる。
まああそこで国際連盟の勧告に従ってなあなあに今まで続くよりはこっちとしては良かったのかもしれないが
※45
一番暴走してたのは某新聞社と近衛サンだと思うけど
軍は国民から切り離された存在じゃないよ
ヒットラーだって民主的な選挙から生まれた
日本も同じ
強気なこと言って、軍と国の力を強調して、人気を稼ぐ軍人政治家
これを大歓迎する不景気で鬱憤の溜まった国民
その人気にあやかろうとする多数の政治家
要は政治知識の無い大衆が「強い日本、強い軍、ダメな政治家」ってイメージに溺れた結果
現代でも似たようなの居るよね
アイドル政治家も方向違うけど同類
国民の平均レベルが上がらないと無理だわ
ペスト患者収容所wwwwwww悪質なイタズラwwww
まあww2の戦争にも誇れるところと反省しなければいけないところもあるね
でも>45の意見にはあまり納得できない。ww2の時のアジアで独立してたのはタイと日本ぐらいだよ。あの時点での日本は誇れるんじゃないかな。戦況悪化してからは悪事も結構あったけどね。
国民も悪くないとは言わないが新聞とかの大衆操作が一番大きな要因だろ。
今の韓国や少し前の中国がいい例。
不発弾がごろごろしてるっぽいから観光地ではないみたいだな
アメリカ合衆国アラスカ州に上陸して、一時的にとはいえ地名まで書き換えたんだ。
御先祖はよく戦った。
敵前逃亡ねぇ。
どう考えても不利な状況、まして勝っても大したメリットがないところに、
カラ元気と目先の勇ましさで人と装備を無駄に消耗することが
どれほどの価値があるのか理解出来ないんだなぁ。
全体を見ることの出来ないその場だけの精神論ってのは、
本当に日本に連綿と続く害悪でしかないな。
そういう馬鹿な精神論に犯されない理性的な人も日本軍にはいたってのが
この作戦でよくわかるんだが、
惜しむらくは少数派であって全体としてはそっちに流れてしまったことだろうなあ。
神鳴る力とくと見よ!
(゚Д゚)キスカッ!
わざわざ脱出の時、百目蝋燭っていうでっかい蝋燭使って時間がたつと蝋燭の火で紐が切れて高射砲の発射装置が作動する細工までして撤退したんだと。
撤退後に米軍側でも高射砲の発射が確認されてるからすげー良いタイミングで作動したんだろう。
ペストの看板以外に面白いものでイギリスとアメリカの国旗で作られた座布団もあったんだと、敵国を尻に敷くってことなんかね。
いやいや、米国や欧米の非道さを知っていた方が良いよ。
おじいさん達も、空爆してた米兵を地上から見えたが、ニヤッと笑っている連中ばかりだったって言ってたし。
他の歴史書物に残されている事実を当然いっぱいあるけどな。
ペスト患者収容所とか日本兵達お茶目すぎる
軍医殿、GJであります!w
日本軍がキスカ島から撤退するとき、無人のはずの島から万歳三唱が聞こえてきたんだって。それを聞いた兵士たちは「死んだ戦友たちが見守ってくれているんだ」と泣いたとか。
実際の話、キスカから撤退するときは、タイミングよく濃霧になったりアメリカの船のレーダーにいる筈の無い船が映ったりと幸運続きだった。だから今でも死んだ戦友が守ってくれたと信じてる生存者も少なくないとか。
戦争を仕掛けるのは国では無く、民衆の総意だ。国民の賛同無くして戦争は継続出来ない。
扇動したのは某新聞社だがな、戦前は腰抜け軍部、戦後は民主化。祖父の時代から無能な元首相とかもいるけど。
わんこの気持ちが知りたい
帰ろう、帰ればまた来られるから
わんこ達は無事だったのだろうか…つか、置いてくなよ(´・ω・`)
※64
いやいや、普通に置いていくでしょ。
タラップか何かで乗艦するならともかく、大発動艇で艦に横付けしたら、縄梯子とかでよじ登っての乗艦ですよ?
しかも、当時としては異例中の異例で、迅速な撤収作業のために携帯していた小銃の海中投棄すら認めるという状況。
そんな状況下で、犬をどうやって連れて行けと?
アッツ島はどうなってるの?同じような状態なの?
わんこは捕虜になったはず
ロシア語、英語にくわえて、日本語での注意書きの看板があるってことは、やっぱり今でもキスカを訪れる日本人っているんだろうね。看板を掲げた人の親切心に感謝。
ペスト患者の看板訳したのがドナルドキーンだったんだっけ?奇しくも戦後日本国籍を取得するとはこのころ思ってなかったろうね。
白黒画像の二枚目と六枚目の画像に写ってる艦はなんて名前なんだろう?
判る人居ないかな
それまでの島嶼奪還で痛い思いしたのが効いてる
キスカに残された軍犬は3頭、また日本軍上陸以前から島で飼われていた犬が1頭。
4頭の犬たちは、何度か試みられた脱出作戦で兵士たちが浜辺に集合する度に、ヒモを食いちぎって追いかけてきたとのこと。一緒に連れては行けないため、心を鬼にしてヒモをどんどん太くせざるを得なかった。
日本軍脱出後米軍が来るまでの2週間、犬たちは餌を分けて食べながらしっかり食いつないでいた。
米軍に保護され、無事に生き延びてアメリカに渡ったそうだ。
調べてよかった、犬も生きてたT_T
『太平洋奇跡の作戦 キスカ』は音楽も最高だった。
軍犬二匹も一緒に連れていったげてよ(泣
1942年には、ほぼすべてのアラスカ原住民、アッチュ島に44人が住んでいました。彼らは捕虜として日本に渡され、その半分が死亡した。戦後、連邦政府は帰還を禁じました。
http://www.pri.org/stories/2018-05-31/attu-descendants-visit-their-ancestral-home-first-time